皇足穂命神社 長野県長野市大字富田字向台 - 神社ファン

有名度

前頭上位

皇足穂命神社

すめたるほのみことじんじゃ

長野県長野市大字富田字向台380

長野県長野市大字富田字向台380

里宮拝殿

Coaltar rain(wikipedia CC 表示-継承 4.0)

皇足穂命神社以外にも 飯縄神社 とも呼ばれます。


かんたんご利益

  • 厄除
  • 勝負
皇足穂命神社には

「厄除・開運系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

戦勝祈願 除災開運 招福

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

飯縄系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

皇足穂命神社は長野県長野市に鎮座する神社。御祭神は保食神の1柱をまつる。
社格は旧郷社。
皇足穂命神社の由緒はきわめて古く、その起源は応神天皇の時代、西暦270年頃にまでさかのぼると伝えられている。この頃、飯縄山山頂に天神大戸道尊を祀り、飯縄大明神と称したことが飯縄信仰の始まりとされる。平安時代に入ると修験道の霊場として発展し、848年には修行者が飯縄山に登り、本地仏として大日如来を拝したと伝えられており、神仏習合の信仰形態のもとで信仰が広がっていった。鎌倉時代の1233年には、信濃国の地頭であった伊藤忠綱が飯縄大明神のお告げによって入山し、山頂に飯縄大権現を勧請したとされ、その子である盛綱が飯縄修験の法を継承し、武士や修験者の間に信仰を広めたという。戦国時代には武田信玄が飯縄信仰を篤く崇敬し、里宮を整備して神領を寄進したとの伝承が残されている。さらに江戸時代には徳川家光より朱印地100石が寄進されるなど、時の権力者からも厚い庇護を受けてきた。飯縄山の名称については、山中で採取される「飯砂」と呼ばれる砂が食用になることから名付けられたという説があり、これもまた保食神の神徳と結び付けて語られてきた。明治維新後の神仏分離により信仰の形は大きく変化したが、1873年には長野県により「皇足穂命神社」の社号が正式に与えられ、現在の姿へと受け継がれていった。
  • 郷社
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出典
公式サイト
http://www.iizuna-jinnjya.jp/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E7%B8%84%E7%A5%9E%E7%A4%BE
長野県神社庁
https://www.nagano-jinjacho.jp/