有名度
前頭芋井神社
いもいじんじゃ
長野県長野市大字高田1237
長野県長野市大字高田1237

かんたんご利益
- 仕事
- 家庭
芋井神社には
「仕事系」「家庭系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
公
五穀豊穣 家内安全 商売繁盛
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「諏訪系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
芋井神社は長野県長野市に鎮座する神社。御祭神は南方止売命、南方刀美命の2柱をまつる。
社格は旧村社。
社の創建年代は明らかではないが、案内板や地域誌によれば、正和年間(1312~1316年)には南向塚の頂上と若宮の2か所に社殿が鎮座していたと伝えられる。しかし天文年間(1532~1555年)に戦火にかかり社殿が焼失したため、一社に合祀して現在の場所に再建されたという。寛文年間(1661~1673年)には真田家から社領1石と六連銭の幕の寄進を受けており、当社が当時の松代藩と深い結びつきを持っていたことが確認できる。平成期の修理に先立つ調査では、文化6年(1809年)8月15日付の「御幣殿建立」と記された棟札が発見され、江戸後期に社殿整備が行われていたことが具体的にうかがえる。さらに弘化4年(1847年)には、同年の地震被害の記録と藩主への感謝を込めた額を村中で相談して奉納し、同年4月16日から7日間にわたって、この地で松代藩による焚き出しが行われたことが長野市誌に記されている。明治13年(1880年)には、古くは諏訪社と呼ばれていた社号を芋井神社へと改め、新しい時代にふさわしい村の鎮守として歩みを進めた。
祈年祭が4月第2日曜日、例祭が9月第4日曜日、感謝祭・大祓祭・交通安全祈願祭が12月第2日曜日に斎行され、いずれも氏子区域に暮らす人々が集う年中行事として続いている。
社格は旧村社。
社の創建年代は明らかではないが、案内板や地域誌によれば、正和年間(1312~1316年)には南向塚の頂上と若宮の2か所に社殿が鎮座していたと伝えられる。しかし天文年間(1532~1555年)に戦火にかかり社殿が焼失したため、一社に合祀して現在の場所に再建されたという。寛文年間(1661~1673年)には真田家から社領1石と六連銭の幕の寄進を受けており、当社が当時の松代藩と深い結びつきを持っていたことが確認できる。平成期の修理に先立つ調査では、文化6年(1809年)8月15日付の「御幣殿建立」と記された棟札が発見され、江戸後期に社殿整備が行われていたことが具体的にうかがえる。さらに弘化4年(1847年)には、同年の地震被害の記録と藩主への感謝を込めた額を村中で相談して奉納し、同年4月16日から7日間にわたって、この地で松代藩による焚き出しが行われたことが長野市誌に記されている。明治13年(1880年)には、古くは諏訪社と呼ばれていた社号を芋井神社へと改め、新しい時代にふさわしい村の鎮守として歩みを進めた。
祈年祭が4月第2日曜日、例祭が9月第4日曜日、感謝祭・大祓祭・交通安全祈願祭が12月第2日曜日に斎行され、いずれも氏子区域に暮らす人々が集う年中行事として続いている。
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神社詳細
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出典
長野県神社庁
https://www.nagano-jinjacho.jp/
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