有名度
前頭小野神社
おのじんじゃ
長野県塩尻市北小野175-1
長野県塩尻市北小野175-1

かんたんご利益
- 仕事
- 家庭
- 勝負
小野神社には
「仕事系」「家庭系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
五穀豊穣 家内安全 武運長久
御祭神
建御名方命 たけみなかたのみこと
神社系統
この神社の主な系統は
「諏訪系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
小野神社は長野県塩尻市に鎮座する神社。御祭神は建御名方命の1柱をまつる。
社格は旧県社。
小野神社の創建年代は明らかではないが、伝承によれば、建御名方命が信濃に入国して諏訪へ向かおうとした際、すでに洩矢神がいたためにすぐには進めず、しばらくこの小野の地に留まったことから祀られたと伝えられている。中世には「小野南北大明神」として文献に現れ、鎌倉?戦国期にかけては、信濃国二之宮として武士や在地領主からも崇敬を受けた。戦国末期には小野盆地をめぐって松本方と飯田方の領地争いが起こり、天正19年(1591年)に豊臣秀吉の裁定によって唐沢川を境に北小野村と南小野村に分割された結果、もともと一体だった神社境内も北の小野神社と南の矢彦神社に分かれて今日の姿になったとされる。江戸時代に入ると両社はともに天領となり、宿場町・小野宿を控えた交通の要衝の守護神としてにぎわいを見せ、明治になると両社とも旧県社として再び公的な格式を整えた。こうした歴史の積み重ねの中で、建御名方命を頂く小野神社は、諏訪信仰の外郭を成す重要な拠点として現在に至っている。
現在の社殿は、寛文12年(1672年)の類焼で主要社殿が焼失したのち、同年中に松本藩によって再建されたもので、本殿2棟と八幡宮本殿、勅使殿の4棟がまとめて長野県宝に指定されている。中規模の白木造一間社流造の本殿が2棟並び、御柱祭の年ごとに祭神が一方から他方へ遷座するという独特の祭祀形態を今に伝えている点も特徴的である。また、小野神社と矢彦神社を包む社叢は、針葉樹と広葉樹が混ざり合う約3万6千平方メートルの混交林で、古い時代の天然林の姿を今に残すものとして県指定天然記念物となっている。
社格は旧県社。
小野神社の創建年代は明らかではないが、伝承によれば、建御名方命が信濃に入国して諏訪へ向かおうとした際、すでに洩矢神がいたためにすぐには進めず、しばらくこの小野の地に留まったことから祀られたと伝えられている。中世には「小野南北大明神」として文献に現れ、鎌倉?戦国期にかけては、信濃国二之宮として武士や在地領主からも崇敬を受けた。戦国末期には小野盆地をめぐって松本方と飯田方の領地争いが起こり、天正19年(1591年)に豊臣秀吉の裁定によって唐沢川を境に北小野村と南小野村に分割された結果、もともと一体だった神社境内も北の小野神社と南の矢彦神社に分かれて今日の姿になったとされる。江戸時代に入ると両社はともに天領となり、宿場町・小野宿を控えた交通の要衝の守護神としてにぎわいを見せ、明治になると両社とも旧県社として再び公的な格式を整えた。こうした歴史の積み重ねの中で、建御名方命を頂く小野神社は、諏訪信仰の外郭を成す重要な拠点として現在に至っている。
現在の社殿は、寛文12年(1672年)の類焼で主要社殿が焼失したのち、同年中に松本藩によって再建されたもので、本殿2棟と八幡宮本殿、勅使殿の4棟がまとめて長野県宝に指定されている。中規模の白木造一間社流造の本殿が2棟並び、御柱祭の年ごとに祭神が一方から他方へ遷座するという独特の祭祀形態を今に伝えている点も特徴的である。また、小野神社と矢彦神社を包む社叢は、針葉樹と広葉樹が混ざり合う約3万6千平方メートルの混交林で、古い時代の天然林の姿を今に残すものとして県指定天然記念物となっている。
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神社詳細
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出典
長野県神社庁
https://www.nagano-jinjacho.jp/
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