有名度
前頭上位冨士御室浅間神社
ふじおむろせんげんじんじゃ
山梨県南都留郡富士河口湖町勝山3951
山梨県南都留郡富士河口湖町勝山3951

Masanori88(wikipedia CC 表示-継承 3.0)
冨士御室浅間神社以外にも 小室浅間明神 とも呼ばれます。
かんたんご利益
- 恋愛
- 仕事
- 子供
- 安全
冨士御室浅間神社には
「恋愛系(有名)」「仕事系」「子供系(有名)」「安全系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
公
良縁 子宝 安産 火防 流通、繁栄の神
御祭神
木花開耶姫命 このはなさくやひめのみこと
神社系統
この神社の主な系統はです。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
冨士御室浅間神社は山梨県南都留郡富士河口湖町に鎮座する神社。御祭神は木花開耶姫命の1柱をまつる。
社格は旧県社、現在は別表神社。
社伝では、文武天皇3年(699)、藤原義忠が富士山二合目に木花開耶姫命を奉斎したことを創始とする。和銅元年(708)には山中を切り開いて祭場が設けられ、養老4年(720)には雨屋が建てられた。延暦19年(800)の富士山噴火で焼失したと伝えられている。
坂上田村麻呂は蝦夷征討へ向かう途中に戦勝を祈願し、大同2年(807)、征討後の報賽として社殿を造営したと伝わる。貞観6年(864)の富士山噴火では再び社殿が焼失し、その後再興された。
天徳2年(958)、村上天皇の時代には、河口湖畔に里宮が建立された。以後、富士山二合目の本宮と河口湖畔の里宮が併存するようになった。中世には富士山へ登拝する修験者が活動し、13~14世紀頃には二合目の御室周辺に役行者堂が置かれた。
戦国時代には武田氏の崇敬を受け、大永5年(1525)に武田信虎が社殿を修理した。弘治2年(1556)から永禄元年(1558)にかけても社殿の工事が行われ、天正16年(1588)には鳥居元忠が鳥居と石燈籠を建て替えた。慶長2年(1597)には浅野氏重が神楽殿を改築している。
慶長17年(1612)、領主の鳥居成次によって本宮本殿が再建された。その後も慶安元年(1648)、元禄11年(1698)、天保12年(1841)、慶応3年(1867)などに修理が行われた。江戸時代には富士講の講社も社殿の維持や修復に関わり、二合目の境内には登拝者や富士講に関係する石碑が残された。
明治40年(1907)の水害では河口湖畔の里宮境内が数か月にわたって水没し、境内の老樹が枯死した。富士山二合目にあった本宮本殿は、風雨や積雪、湿気による腐朽から保存するため、1973年から1974年にかけて解体され、河口湖畔の里宮境内へ移築された。この解体修理の際に慶長17年(1612)の墨書が発見され、本殿の建立年代が確認された。
現在の本宮本殿は、桁行正面1間、背面2間、梁間1間の一重入母屋造で、正面に1間の向拝と軒唐破風を備える。1985年5月18日に国の重要文化財に指定され、現在は中門、翼廊、瑞垣に囲まれて保存されている。
河口湖畔には浄身場と呼ばれる場所があり、修験者が斎戒沐浴を行ったと伝えられている。また、かつては氏子青年が蟇股に彫られた龍を湖中へ沈め、降雨を祈願する神事が行われた。この神事は現在、8月の龍神祭として受け継がれている。例祭は9月9日に行われる。
社格は旧県社、現在は別表神社。
社伝では、文武天皇3年(699)、藤原義忠が富士山二合目に木花開耶姫命を奉斎したことを創始とする。和銅元年(708)には山中を切り開いて祭場が設けられ、養老4年(720)には雨屋が建てられた。延暦19年(800)の富士山噴火で焼失したと伝えられている。
坂上田村麻呂は蝦夷征討へ向かう途中に戦勝を祈願し、大同2年(807)、征討後の報賽として社殿を造営したと伝わる。貞観6年(864)の富士山噴火では再び社殿が焼失し、その後再興された。
天徳2年(958)、村上天皇の時代には、河口湖畔に里宮が建立された。以後、富士山二合目の本宮と河口湖畔の里宮が併存するようになった。中世には富士山へ登拝する修験者が活動し、13~14世紀頃には二合目の御室周辺に役行者堂が置かれた。
戦国時代には武田氏の崇敬を受け、大永5年(1525)に武田信虎が社殿を修理した。弘治2年(1556)から永禄元年(1558)にかけても社殿の工事が行われ、天正16年(1588)には鳥居元忠が鳥居と石燈籠を建て替えた。慶長2年(1597)には浅野氏重が神楽殿を改築している。
慶長17年(1612)、領主の鳥居成次によって本宮本殿が再建された。その後も慶安元年(1648)、元禄11年(1698)、天保12年(1841)、慶応3年(1867)などに修理が行われた。江戸時代には富士講の講社も社殿の維持や修復に関わり、二合目の境内には登拝者や富士講に関係する石碑が残された。
明治40年(1907)の水害では河口湖畔の里宮境内が数か月にわたって水没し、境内の老樹が枯死した。富士山二合目にあった本宮本殿は、風雨や積雪、湿気による腐朽から保存するため、1973年から1974年にかけて解体され、河口湖畔の里宮境内へ移築された。この解体修理の際に慶長17年(1612)の墨書が発見され、本殿の建立年代が確認された。
現在の本宮本殿は、桁行正面1間、背面2間、梁間1間の一重入母屋造で、正面に1間の向拝と軒唐破風を備える。1985年5月18日に国の重要文化財に指定され、現在は中門、翼廊、瑞垣に囲まれて保存されている。
河口湖畔には浄身場と呼ばれる場所があり、修験者が斎戒沐浴を行ったと伝えられている。また、かつては氏子青年が蟇股に彫られた龍を湖中へ沈め、降雨を祈願する神事が行われた。この神事は現在、8月の龍神祭として受け継がれている。例祭は9月9日に行われる。
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神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
情報募集
例祭
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文化財
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建築
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神紋
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出典
公式サイト
http://fujiomurosengenjinja.jp/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%A8%E5%A3%AB%E5%BE%A1%E5%AE%A4%E6%B5%85%E9%96%93%E7%A5%9E%E7%A4%BE
国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp
山梨県
https://www.pref.yamanashi.jp/bunka/bunkazaihogo/yamanashikennobunkazai.html
富士河口湖町
https://fujisan.ne.jp/pages/122/
山梨県神社庁
https://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/
http://fujiomurosengenjinja.jp/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%A8%E5%A3%AB%E5%BE%A1%E5%AE%A4%E6%B5%85%E9%96%93%E7%A5%9E%E7%A4%BE
国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp
山梨県
https://www.pref.yamanashi.jp/bunka/bunkazaihogo/yamanashikennobunkazai.html
富士河口湖町
https://fujisan.ne.jp/pages/122/
山梨県神社庁
https://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/
