美和神社 山梨県 - 神社ファン

有名度

前頭

美和神社

みわじんじゃ

山梨県笛吹市御坂町二之宮一四五〇

山梨県笛吹市御坂町二之宮一四五〇

拝殿

さかおり(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

かんたんご利益

  • 子供
  • 厄除
美和神社には

「子供系」「厄除・開運系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

厄除け 開運招福 安産祈願

御祭神

大物主命 おおものぬしのみこと

神社系統

この神社の主な系統は

大神系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

美和神社は山梨県笛吹市に鎮座する神社。御祭神は大物主命の1柱をまつる。
社格は二の宮(甲斐国)、国史見在社、旧県社。
社伝によれば、美和神社の創建は景行天皇の頃、日本武尊の命により甲斐国造の塩海足尼が奈良の大神明神から大物主命を勧請したことに始まるとされる。『甲斐国社記・寺記』や『甲斐国志』にこの由緒が記されており、甲斐国内でも屈指の古社として位置付けられている。創建当初の鎮座地は、現在地ではなく尾上郷の杵衡神社の地であったと伝えられ、その後に現在の二之宮へ遷座したという。現在の美和神社は里宮とされ、東方の尾山地区に鎮座する杵衡神社が山宮にあたると考えられており、里宮・山宮の関係を保ちながら信仰が続けられてきた。文献上の初出は『日本三代実録』貞観5年(863年)6月8日条で、この日に美和神社が従五位下に叙せられた記事が見える。すでにこの時期には官社として中央からも意識されていたことがわかり、その後も位階を進めながら甲斐国内の有力神社としての地位を固めていった。甲斐国二宮の号については、一條天皇から与えられたとする系統の記述がある一方で、笛吹市教育委員会による解説では九世紀の光孝天皇の時に甲斐国第二宮と定められたと伝えている。細部の伝承には違いがみられるものの、いずれも平安初期にはすでに「第二宮」として位置付けられていたことを示しており、美和神社が早い段階から国中有数の神社として認識されていたことがうかがえる。中世に入ると、美和神社は甲斐守護である武田氏の篤い崇敬を受けた。文明11年(1479年)には信濃佐久の大井氏による甲斐侵攻の戦火に見舞われたと伝えられるが、武田信虎の時代には山梨郡万力郷に社領寄進を受け、弘治3年(1557年)には武田晴信(信玄)から条目が下されている。こうした寄進や特典により、美和神社は一宮浅間神社・玉諸神社・武田八幡宮などとともに重要な祭祀拠点として支えられた。戦国期には、武田惣領家が武運長久と子孫繁栄を祈願した社としても知られ、笛吹市の文化財解説でもその尊崇の深さが指摘されている。江戸時代を通じて周辺村落の信仰を集め、明治期には近代社格制度のもとで県社に列し、近代以降も御坂地域を代表する古社として祭祀が継承されている。
  • 二宮(甲斐国)
  • 県社
  • 国史見在社
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神社詳細

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E5%92%8C%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E7%AC%9B%E5%90%B9%E5%B8%82)
山梨県神社庁
https://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/