常宮神社 福井県敦賀市常宮 - 神社ファン

有名度

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常宮神社

じょうぐうじんじゃ

福井県敦賀市常宮13-16

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福井県敦賀市常宮13-16

拝殿

Saigen Jiro(wikipedia CC0)

かんたんご利益

  • 子供
  • 安全
常宮神社には

「子供系」「安全系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

安産 海上安全

御祭神

主祭神

天八百萬比畔神 あめのやおよろずひめのみこと

相殿

神功皇后 じんぐうこうごう

相殿

仲哀天皇 ちゅうあいてんのう

神社系統

この神社の主な系統は

「不明(1柱)」 「気比系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

常宮神社は福井県敦賀市に鎮座する神社。御祭神は天八百萬比畔神、神功皇后、仲哀天皇の3柱をまつる。
社格は式内社(論社)であり、旧県社。
社伝によれば、天八百萬比咩命は古くから現在地に鎮座していたと伝えられる。仲哀天皇2年、仲哀天皇と神功皇后が百官を率いて敦賀へ行幸し、この地に筍飯の行宮を営んだという。やがて仲哀天皇は熊襲の変を受けて紀州へ向かい、さらに山陽道を経て現在の山口県方面へ進んだ。神功皇后は2月から6月まで常宮に滞在したのち、6月中の卯の日に海路で日本海を渡り、豊浦宮で仲哀天皇と再会したと伝えられている。
神功皇后については、三韓親征に向かう前に常宮で腹帯を着け、その後、筑紫で応神天皇を出産したとの伝承も残る。現在も常宮神社では腹帯を授かって安産を祈願する風習が受け継がれている。
大宝3年(703)には勅命によって社殿が修造され、神功皇后、仲哀天皇、応神天皇、日本武命、玉妃命、武内宿禰命が併せ祀られたと伝わる。また、常宮の社名は、神功皇后がこの地で発した言葉にちなむとの社伝が残されている。
その後、常宮神社は氣比神宮の奥宮として祭祀が続けられ、近世以前には常宮大権現とも称された。小浜藩政期まで氣比神宮の境外摂社であったが、明治9年(1876)5月に氣比神宮から独立し、県社に列格した。
現在も氣比神宮から常宮神社へ神輿が渡御する祭礼が受け継がれている。毎年7月には仲哀天皇を奉じた船神輿が氣比神宮を出発し、敦賀湾を海路で進んで常宮神社へ渡御する。現在の本殿は正徳3年(1712)に建立されたもので、前室を備えた三間社流造、銅板葺の社殿である。中門は宝暦12年(1762)の建築で、拝所は江戸時代末期に建てられた。拝所は正面1間、側面2間の向唐門で、氣比神宮の門を移築したものと伝えられる。本殿・中門・拝所の3棟はいずれも福井県指定有形文化財となっている。
社宝には国宝の朝鮮鐘がある。鐘の銘文には大和7年(833)の年紀があり、朝鮮半島の菁州蓮池寺の鐘として鋳造されたことが確認されている。社伝では、慶長2年(1597)に敦賀領主の大谷吉継が豊臣秀吉の命を受けて常宮神社へ奉納したとされる。総高約112cm、口径約67cmを測り、鐘身には飛天や蓮華などの文様が鋳出されている。昭和27年(1952)11月22日に国宝に指定された。
  • 県社
  • 式内社(小 論社)
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神社詳細

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E5%AE%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE
福井県神社庁
https://www.jinja-fukui.jp/