有名度
小結金劔宮
きんけんぐう
石川県白山市鶴来日詰町巳118-5
神馬の像・義経腰掛石
更新日:2026年8月30日
神馬の像
金劔宮の境内には、青銅製の神馬像があります。金劔宮と馬との関係は、平安時代末期の寿永2年(1183)までさかのぼります。同年、木曽義仲(源義仲)は倶利伽羅峠の戦いで平家軍を破り、北陸道を進んで京都へ向かいました。その際、金劔宮に鞍置馬20頭を寄進したと伝えられています。
倶利伽羅峠の戦いは、越中・加賀国境付近で行われた源平合戦の一つです。義仲軍はこの戦いで平家軍に大勝し、その後、加賀を経て京都へ進軍しました。金劔宮には、この北陸道を進んだ義仲にまつわる伝承が残されており、神馬像も鞍置馬20頭の寄進にちなむものです。

桐紋は古くから朝廷で用いられ、のちに武家にも広がった紋章です。五七桐は豊臣秀吉が使用したことでもよく知られ、現在は日本政府の紋章として首相官邸の演台などにも使用されています。
金劔宮は中世に武将から崇敬を受けた神社でもあり、木曽義仲による鞍置馬の寄進は、その歴史を現在に伝える伝承の一つです。
義経腰掛石
金劔宮には、木曽義仲だけでなく源義経にまつわる伝承も残されています。その一つが境内にある「義経腰掛石」です。軍記物語『義経記』には、兄・源頼朝との対立によって都を離れ、奥州平泉を目指した義経一行が金劔宮を訪れたことが記されています。
文治2年(1186)2月、義経は武蔵坊弁慶らとともに北陸道を進む途中で金劔宮に参拝したと伝えられています。一行は金劔宮に一泊し、神楽を奉納しました。

『義経記』は義経の死後に成立した軍記物語であり、物語に記された出来事のすべてを史実として扱うことはできません。一方、金劔宮には義経の参拝や神楽奉納にまつわる伝承が受け継がれ、現在も義経腰掛石がその足跡を伝えています。
寿永2年(1183)には木曽義仲が鞍置馬20頭を寄進し、その数年後には奥州へ向かう源義経が立ち寄ったと伝えられる金劔宮。神馬像と義経腰掛石は、源平争乱の時代に北陸道を駆け抜けた武将と金劔宮との関わりを伝える見どころです。
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