有名度
大関箱根神社
はこねじんじゃ
神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80-1
三匿開運の碑・吉田松陰碑・奉祝記念事業完遂之碑
更新日:2026年8月27日
三度大難を免れた・三匿開運の碑
第四鳥居そばの手水舎の前には、「源頼朝三度大難を免かる」の記石碑があります。1180(治承4)年、平氏打倒の兵を挙げた源頼朝は石橋山の合戦で敗れ、山中へと逃れました。碑には、日頃から箱根権現を篤く信仰していた頼朝が、土肥の椙山、しとどの岩窟、箱根神社と三度にわたって大難を免れたことが記されています。
その後、鎌倉幕府を開いた頼朝は箱根権現への崇敬を深め、伊豆山権現と箱根権現を参詣する「二所詣」を行いました。箱根神社は歴代の鎌倉幕府将軍からも信仰され、「関東総鎮守」として尊崇されるようになります。頼朝が危機を脱した故事は現在も開運・厄除けの信仰につながり、「三匿開運の碑」の近くには、その故事にちなんだ「源頼朝三匿開運の開運印籠御守」もあります。

松陰が詠んだ箱根の歌・吉田松陰碑
境内の湖畔、舟庫の近くには、幕末の思想家・教育者として知られる吉田松陰の和歌碑があります。1859(安政6)年、江戸幕府による安政の大獄で江戸へ送られることになった松陰は、野山獄でともに獄囚生活を送った高須久子から餞別として「汗ふき」を贈られました。
碑に刻まれている「箱根山 越すとき汗の 出でやせん 君を思ひて ふき清めてん」という歌は、その汗ふきに対する松陰の返歌です。江戸へ向かう途中で越える箱根山を詠み込みながら、自分を気遣って汗ふきを贈った久子への思いを表しています。
松陰は生涯に幾度も箱根を越えていますが、箱根を詠んだ和歌として残されているのはこの一首のみとされます。幕末の志士として知られる松陰の、個人的な別れの情景を現在に伝える碑です。

御鎮座1260年を記念・奉祝記念事業完遂之碑
第三駐車場の近くには、「天皇陛下御即位三十年・令和之御大典・御鎮座1260年」を奉祝して行われた記念事業の完遂之碑があります。碑には、鎌倉幕府の基本法典『御成敗式目』の第一条に掲げられた、神社を修理して祭祀を大切にするという考えが紹介されています。さらに、それに続く「神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳によりて運を添ふ」という言葉も刻まれています。
これは、人々が神を敬うことで神威が増し、人もまた神の徳によって運を得るという、神と人との関わりを表した言葉です。箱根神社を篤く崇敬した源頼朝が開いた鎌倉幕府の法典に記された言葉が、長い年月を経て箱根神社の奉祝事業を記念する碑に刻まれている点も見どころです。
三匿開運の碑が源頼朝と箱根神社の深い結びつきを伝える一方、吉田松陰碑は幕末、奉祝記念事業完遂之碑は現代の箱根神社の歩みを伝えています。境内に点在する3つの碑を巡ることで、鎌倉時代から幕末、そして現代へと続く箱根神社の歴史の一端に触れることができます。

この記事を0人の方がいいねといっています
スポンサーリンク
箱根神社の人気記事
-
願い串この記事を4人が評価
-
安産杉この記事を1人が評価
-
お休み処 権現からめもち・大きな幸せのかしわの木この記事を0人が評価
