有名度
大関寒川神社
さむかわじんじゃ
神奈川県高座郡寒川町宮山3916
御社殿・御祭神・ご利益
更新日:2026年8月26日
総桧造りの御社殿
神門をくぐり、回廊に囲まれた内庭に入ると、正面の御社殿まで真っすぐ参道が延びています。現在の御社殿は平成9年(1997)10月に竣功しました。御本殿を中心に、幣殿、拝殿、東西の翼殿、廻廊などが整えられ、総桧造りの荘厳な社殿となっています。
拝殿には216人が一度に参列できる席が設けられています。これほど大きな拝殿が必要とされる背景にあるのが、寒川神社の非常に多い御祈祷者数です。

寒川神社の境内には、古い建造物よりも平成以降に整備された比較的新しい建造物が多く見られます。現在の神門は平成5年(1993)、御社殿は平成9年(1997)の竣功です。一方、昭和4年(1929)に建てられた旧神門は南門として移築されており、新旧の建造物を見比べることもできます。
年間約30万件という御祈祷を受け入れる神社であることを知ると、大規模な拝殿をはじめ、境内が広く整備されている理由もよく分かります。
御祭神「寒川大明神」
御祭神は、寒川比古命(さむかわひこのみこと)と寒川比女命(さむかわひめのみこと)の二柱です。二柱をあわせて「寒川大明神」と奉称しています。寒川比古命と寒川比女命は『古事記』『日本書紀』には登場しない神様です。その神格については諸説があり、詳しいことは明らかになっていません。
寒川神社では、寒川大明神について、相模国を中心に広く関東地方を開拓し、衣食住など人間生活の根源を開発指導した「関東地方文化の生みの親神様」として敬仰されてきたと伝えています。
寒川神社は非常に古い歴史を持ち、平安時代の『延喜式』神名帳では相模国高座郡の「名神大社」に列せられています。相模国一之宮としても長く崇敬されてきました。
これほど長い歴史と高い格式を持つ神社でありながら、御祭神である寒川比古命・寒川比女命が記紀神話に登場せず、その詳細が現在も明らかになっていないことは、寒川神社の大きな特徴の一つです。

全国唯一の「八方除」の守護神
寒川神社といえば、古くから「八方除」の守護神として広く知られています。八方とは東・西・南・北だけではなく、あらゆる方角を意味します。寒川神社では八方除について、地相・家相・方位・日柄などに起因するあらゆる禍事や災難を取り除き、家業繁栄や福徳円満をもたらす寒川大明神の「全国唯一の御神徳」としています。
悪事災難を取り除き、福徳開運をもたらす「厄除開運」の御神徳があり、引っ越しや旅行、新築、改築など方位に関係する祈願だけでなく、厄除、家内安全、身体健全、商売繁昌、事業繁栄、開運招福など、さまざまな祈願のために参拝者が訪れています。
その信仰は古く、源頼朝、武田信玄、徳川家代々など、歴史上の武将からも崇敬を受けてきました。
武田信玄は永禄12年(1569)、小田原城を攻めた際に寒川神社へ立ち寄ったと伝えられています。このとき兜を奉納したとされ、その兜の前立は現在も寒川神社に伝わっています。

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江戸の裏鬼門を守る寒川神社
寒川神社と方位との深い関係は、神社が鎮座する場所にも見ることができます。寒川神社は江戸、現在の皇居から見ると南西の方角に位置します。南西は十二支では「未申(ひつじさる)」にあたり、鬼門である北東の反対側に位置する「裏鬼門」です。
さらに寒川神社の御社殿は南西を向いて建てられています。江戸時代には関八州の守護神、江戸の裏鬼門を守護する神社として崇敬されました。

八方除で知られる寒川神社を参拝する際には、こうした方位や天体に関係するものを探しながら境内を巡るのもおすすめです。
テレビ業界でも知られる「視聴率祈願」
寒川神社には、テレビ・芸能関係者が番組の成功や高視聴率を願って参拝することでも知られています。新番組が始まる前などにテレビ番組の関係者が訪れ、視聴率アップを祈願することがあり、テレビ業界ではよく知られた神社の一つとなっています。
ただし、寒川神社が公式に「視聴率アップ」という御神徳を掲げているわけではありません。八方除をはじめ、事業繁栄、開運招福、心願成就など幅広い祈願を受け付けていることから、番組の成功を願うテレビ関係者も祈願に訪れるものです。
年間約30万件、日本一ともいわれるほど多くの御祈祷が行われる寒川神社らしいエピソードの一つです。

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