有名度
小結江島神社
えのしまじんじゃ
神奈川県藤沢市江の島2ー3ー8
奥津宮の亀にまつわる見どころ
更新日:2026年8月24日
奥津宮には、手水舎や亀石をはじめ、亀にまつわる見どころがいくつもあります。境内を歩く際は、社殿だけでなく、こうした亀の意匠や石にも注目してみてください。
この亀は非常に写実的に作られており、甲羅の模様や水盤へ向かって首を伸ばす姿まで細かく表現されています。青山健作氏が昭和54年(1979)、参拝30周年を記念して奉納したものです。
さらに注目したいのが、手水舎の柱の台座です。こちらにも亀が用いられており、亀が柱を背負って支えているような姿を見ることができます。水盤の亀だけを見て通り過ぎてしまいがちですが、足元まで確認しておきたいところです。
弁財天は水との関わりが深い神で、インドでは河川の神として信仰されてきました。日本では蛇や龍などが弁財天と結びつけられることがありますが、海に囲まれた江の島では亀の姿も境内の随所に見られます。奥津宮の手水舎は、そうした江の島らしさを感じられる場所の一つです。
約90cm×60cmの大きさがあり、石の表面には亀の甲羅を思わせる模様が浮かんでいます。自然石でありながら亀を連想させる姿をしており、奥津宮の亀にまつわる見どころの中でも特に印象的な存在です。
斎藤月岑の『武江年表』には、この亀石にまつわる由来が記されています。
弁財天を篤く信仰していた弁秀堂という人物が、『金光明最勝王経』を写経してこの地に納めようとしました。その際、納めた経の上に置くための石を探していたところ、亀の形をした石を見つけたため、その石を置いて江の島へ奉納したと伝えられています。
弁財天への信仰と亀の姿をした石が結びついて伝えられてきた、奥津宮ならではの縁起のよい石です。
重さは八十貫、約320kgにも及びます。かつて弁財天の祭礼では、大勢の見物人が集まるなかで力比べが行われたと伝えられています。
現在では持ち上げることはできませんが、江戸時代の江の島が信仰の地であると同時に、多くの参詣者で賑わっていたことをうかがわせる見どころです。
山田検校は幼い頃に失明しましたが、箏を学び、それまでの箏曲に新たな表現を取り入れて山田流を興しました。江の島とも縁が深く、江の島に滞在して構想を練った曲として「江の島曲」が知られています。
その功績と江の島との縁を伝えるために建てられたのが山田検校顕彰碑と座像です。顕彰碑の碑文は、作家の幸田露伴(幸田成行)の撰によるものです。
亀にまつわるものではありませんが、奥津宮周辺を巡る際には亀石や力石とあわせて見ておきたい、江の島の文化史を伝える見どころです。
手水舎
奥津宮の鳥居をくぐった右手には手水舎があり、水盤には亀をかたどった鋳銅の像が置かれています。


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亀石
石鳥居をくぐってすぐ右手の道を進むと、御神木のそばに「亀石」があります。約90cm×60cmの大きさがあり、石の表面には亀の甲羅を思わせる模様が浮かんでいます。自然石でありながら亀を連想させる姿をしており、奥津宮の亀にまつわる見どころの中でも特に印象的な存在です。

弁財天を篤く信仰していた弁秀堂という人物が、『金光明最勝王経』を写経してこの地に納めようとしました。その際、納めた経の上に置くための石を探していたところ、亀の形をした石を見つけたため、その石を置いて江の島へ奉納したと伝えられています。
弁財天への信仰と亀の姿をした石が結びついて伝えられてきた、奥津宮ならではの縁起のよい石です。

力石
亀石のすぐ近くには、江戸時代に日本一の力持ちと称された岩槻藩の卯之吉が奉納した「力石」があります。重さは八十貫、約320kgにも及びます。かつて弁財天の祭礼では、大勢の見物人が集まるなかで力比べが行われたと伝えられています。
現在では持ち上げることはできませんが、江戸時代の江の島が信仰の地であると同時に、多くの参詣者で賑わっていたことをうかがわせる見どころです。

山田検校顕彰碑・座像
拝殿前から右手の小道を進んだところには、山田流箏曲の開祖として知られる山田検校の顕彰碑と座像があります。山田検校は幼い頃に失明しましたが、箏を学び、それまでの箏曲に新たな表現を取り入れて山田流を興しました。江の島とも縁が深く、江の島に滞在して構想を練った曲として「江の島曲」が知られています。

亀にまつわるものではありませんが、奥津宮周辺を巡る際には亀石や力石とあわせて見ておきたい、江の島の文化史を伝える見どころです。
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