有名度
小結江島神社
えのしまじんじゃ
神奈川県藤沢市江の島2ー3ー8
中津宮と歌舞伎の深いつながり
更新日:2026年8月24日
中津宮には、江戸時代から続く歌舞伎界との深いつながりを伝える見どころが数多く残されています。なかでも注目したいのが、江戸歌舞伎の市村座・中村座が奉献した石灯籠です。さらに境内には、尾上菊五郎・菊之助ゆかりのしだれ梅や手形もあり、時代を越えて歌舞伎関係者から信仰を集めてきたことがうかがえます。
市村座と中村座はいずれも江戸を代表する歌舞伎劇場で、市村座では市村羽左衛門、中村座では中村勘三郎が代々座元を務めていました。灯籠の竿部分を見ると、それぞれの名が大きく刻まれているのを確認できます。
参道に並ぶ立派な石灯籠そのものが、当時の歌舞伎の隆盛を物語るとともに、歌舞伎関係者が中津宮へ寄せた信仰の深さを現在に伝える見どころとなっています。
中津宮は明治初期まで「上之宮」と呼ばれていました。水鉢にはその名残が残されており、現在の「中津宮」という名称になる以前の歴史を伝える貴重な見どころでもあります。歌舞伎ゆかりの石灯籠とあわせて、江戸時代の中津宮の様子をしのばせる奉納物です。
右手にあるのが「菊五郎のしだれ梅」です。1985年(昭和60年)、灯籠奉献200年を記念して、尾上菊五郎が自ら手植えしました。江戸時代に歌舞伎関係者が奉献した石灯籠のそばに、後世の歌舞伎役者が記念の木を植えたことになります。
左手のしだれ梅は、1999年(平成11年)に七代目尾上菊五郎・五代目尾上菊之助が出演する「江の島大歌舞伎」が開催された際に植えられたものです。開演前に五代目尾上菊之助が自ら手植えしました。
この2本のしだれ梅は、中津宮と歌舞伎界とのつながりが江戸時代だけのものではなく、現代まで受け継がれてきたことを伝える存在です。
なお、訪問時には囲いの中に木はありませんでした。
拝殿前の参道に並ぶ市村座・中村座奉献の石灯籠から、尾上菊五郎・菊之助ゆかりのしだれ梅と手形まで、中津宮には歌舞伎界との結びつきを伝えるものがまとまって残されています。江戸時代から現代へと続く歌舞伎関係者の信仰を、実際の奉納物や記念物を通してたどれるのが、中津宮ならではの見どころです。
石灯篭
拝殿正面の参道には、風格のある石灯籠が何基も並んでいます。これらは江戸歌舞伎の劇場「市村座」と「中村座」が奉献したものです。市村座と中村座はいずれも江戸を代表する歌舞伎劇場で、市村座では市村羽左衛門、中村座では中村勘三郎が代々座元を務めていました。灯籠の竿部分を見ると、それぞれの名が大きく刻まれているのを確認できます。


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水鉢
境内には、1690年(元禄3年)に中西市兵衛が奉納した水鉢があります。江の島に残る最古の手水鉢といわれる古いものです。中津宮は明治初期まで「上之宮」と呼ばれていました。水鉢にはその名残が残されており、現在の「中津宮」という名称になる以前の歴史を伝える貴重な見どころでもあります。歌舞伎ゆかりの石灯籠とあわせて、江戸時代の中津宮の様子をしのばせる奉納物です。

しだれ梅
石灯籠の間には、歌舞伎役者ゆかりの2本のしだれ梅があります。右手にあるのが「菊五郎のしだれ梅」です。1985年(昭和60年)、灯籠奉献200年を記念して、尾上菊五郎が自ら手植えしました。江戸時代に歌舞伎関係者が奉献した石灯籠のそばに、後世の歌舞伎役者が記念の木を植えたことになります。

この2本のしだれ梅は、中津宮と歌舞伎界とのつながりが江戸時代だけのものではなく、現代まで受け継がれてきたことを伝える存在です。
なお、訪問時には囲いの中に木はありませんでした。
手形
2本のしだれ梅の間には、七代目尾上菊五郎と五代目尾上菊之助、親子の手形を見ることができます。拝殿前の参道に並ぶ市村座・中村座奉献の石灯籠から、尾上菊五郎・菊之助ゆかりのしだれ梅と手形まで、中津宮には歌舞伎界との結びつきを伝えるものがまとまって残されています。江戸時代から現代へと続く歌舞伎関係者の信仰を、実際の奉納物や記念物を通してたどれるのが、中津宮ならではの見どころです。

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