手水舎 | 江島神社 - 神社ファン

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江島神社

えのしまじんじゃ

神奈川県藤沢市江の島2ー3ー8

😞 🙁 😐 🙂 😄

手水舎

更新日:2026年8月24日

手水舎と江戸時代の石灯籠

瑞心門をくぐり、石段を右へ左へと上っていくと、辺津宮へ到着する少し手前に手水舎があります。辺津宮へ参拝する前に、ここで手や口を清めます。
辺津宮の手水舎・灯篭
手水舎とあわせて見ておきたいのが、前に立つ大きな2基の石灯籠です。寛政8年(1796)と寛政9年(1797)に江戸の小道具屋から奉納されたもので、灯籠には多くの奉納者の名前が刻まれています。
辺津宮の灯篭に刻まれた名前
江戸時代には江島弁財天への信仰が盛んになり、多くの人々が江の島詣に訪れました。約230年前に奉納された石灯籠とそこに刻まれた名前からも、江戸の人々から篤い信仰を集めていたことがうかがえます。
現在の手水鉢は昭和12年(1937)、東京・湯島の電話店店主から奉納されたものです。手水舎を利用するだけでなく、石灯籠や手水鉢に残る奉納の歴史にも注目してみてください。
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江戸時代の「嗽水盥」

手水舎からさらに石段を上り、辺津宮の境内入口まで進むと朱塗りの灯籠があります。その左手にある石造物が「嗽水盥(そうすいかん)」です。
寛延2年(1749)、江戸麻布坂下町、現在の東京都港区麻布にあたる地域の藤屋半七によって奉納されたものです。正面や側面には奉納年月日や奉納者の名前が刻まれています。
嗽水盥
現在の手水舎よりもはるかに古く、江島弁財天への参詣が盛んだった江戸時代中期から残るものです。何気なく通り過ぎやすい石造物ですが、刻まれた文字まで見てみてください。

廃仏毀釈で壊された鐘楼の跡

かつて辺津宮には鐘楼がありました。江島神社は神仏習合の時代には江島弁財天として信仰されていましたが、明治初年の神仏分離・廃仏毀釈によって仏教色が排除され、鐘楼も明治元年(1868)に壊されました。
その鐘楼があった痕跡は、現在も拝殿の右手奥に残されています。ただし非常に分かりにくく、現在は現地でも確認しづらくなっています。

手水舎周辺には、江戸時代の石灯籠や嗽水盥、さらに失われた鐘楼の痕跡まで残っており、江島神社が「江島弁財天」として信仰されていた時代を感じられる場所でもあります。

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