杉山和一(検校) | 江島神社 - 神社ファン

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江島神社

えのしまじんじゃ

神奈川県藤沢市江の島2ー3ー8

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杉山和一(検校)

更新日:2026年8月24日

江島弁財天を深く信仰した杉山和一

杉山和一(すぎやま わいち)は、江戸時代前期に活躍した盲目の鍼師です。管の中に鍼を入れて施術する「管鍼法」を考案した人物として知られ、のちに関東の盲人を統括する関東総検校となりました。検校とは、当時の盲人に与えられた最高位の官名です。
杉山和一は江島弁財天を深く信仰した人物でもあり、江の島には現在も福石、江の島弁財天道標、杉山和一像、墓など、和一にまつわる場所が数多く残されています。
杉山和一WolfgangMichel(パブリック・ドメイン)

管鍼法発案の伝説が残る「福石」

瑞心門をくぐり、右手の石段を上がると「福石」があります。一見すると何気ない丸みを帯びた石ですが、杉山和一が管鍼法を考案するきっかけとなった場所として伝えられています。
幼くして失明した和一は鍼術を学びましたが、なかなか上達できず、江島弁財天に祈願するため江の島に籠もりました。21日間の断食修行を終えた満願の日、帰る途中で石につまずいて倒れ、気を失ったといいます。
福石
その際に弁財天の夢を見て、目を覚ますと身体にチクチクと触れるものがありました。手に取ると竹筒の中に入った松葉でした。和一はここから着想を得て、細い管を使って鍼を刺す管鍼法を考案したと伝えられています。
福石には、この場所で物を拾うと和一のように福運を授かるという言い伝えも残っています。
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杉山和一が建てた「江の島弁財天道標」

福石の近くには、杉山和一が江の島への参詣者のために建立したと伝わる「江の島弁財天道標」があります。
尖った頭部を持つ石柱で、三面には「一切衆生」「ゑのしま道」「二世安楽」の文字が刻まれています。かつて藤沢宿から江の島へ続く江の島道に数多く建てられ、参詣者を江島弁財天へ導きました。
現在、藤沢市では「江の島弁財天道標」12基を市指定文化財としており、昭和41年(1966)1月17日に指定されています。江島神社境内にある道標は、もともとこの場所に建てられていたものではありません。
江ノ島弁財天道標
また、福石の後ろには「福石」と刻まれた石塔がありますが、こちらが福石そのものではありません。寛政4年(1792)建立の庚申供養塔で、「福石」の文字は後世に刻まれたものです。丸い石の福石と間違えやすいので、現地では見比べてみてください。
庚申供養塔

杉山和一像と木造坐像

福石の右手には杉山和一の像があります。和一の生誕410年にあたる令和2年(2020)に建立されたものです。
銅像建立に伴う調査では、長く所在不明となっていた杉山和一の木造坐像も発見されました。和一自身が生前に作らせたと伝えられる像で、現在は江島神社の奉安殿で公開されています。
杉山和一像
福石で和一の伝説に触れたあとに人物像を見て、さらに奉安殿で木造坐像を見ると、杉山和一と江島弁財天との深い関係をより実感できます。

江の島に残る杉山検校の墓

杉山和一ゆかりの場所は江島神社境内だけではありません。島内の西浦霊園には「杉山検校の墓」が残されています。
和一は元禄7年(1694)に亡くなり、江戸の弥勒寺に葬られました。翌元禄8年(1695)、弟子の三浦安一によって、和一が篤く信仰した江の島にも墓が建立されたと伝えられています。
杉山検校の墓
墓は笠塔婆型で、その前には石灯籠が立っています。この灯籠は、和一が仕えた徳川5代将軍・徳川綱吉の側近として知られる柳沢吉保の夫人が寄進したと伝えられています。
「杉山和一の墓」は昭和38年(1963)3月25日に藤沢市指定史跡となりました。江の島に残る杉山和一関係の史跡の中でも、特に重要な場所です。

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