末社 旗上弁財天社 | 鶴岡八幡宮 - 神社ファン

有名度

大関

鶴岡八幡宮

つるがおかはちまんぐう

神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31

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末社 旗上弁財天社

更新日:2026年8月22日

源氏池にある弁財天社

旗上弁財天社は、鶴岡八幡宮の源氏池に浮かぶ中の島に鎮座しています。三ノ鳥居をくぐって右手に広がる源氏池にあり、橋を渡って参拝できます。
源氏池には3つの島があり、そのうち最も大きな島に建つ朱塗りの社殿が旗上弁財天社です。社殿の周囲には源氏を象徴する白旗が数多く奉納され、池の緑や蓮と鮮やかなコントラストを見せています。
旗上弁財天社 鳥居
「旗上」の名は、源頼朝が平家打倒を目指して挙兵した旗揚げにちなみます。頼朝は1180年(治承4年)に伊豆で挙兵し、同年10月に鎌倉へ入りました。その後、源氏ゆかりの八幡神を祀る由比若宮を現在の鶴岡八幡宮の地へ遷し、鎌倉を武家政権の中心として整えていきました。
旗上弁財天社の周囲に並ぶ白旗には源氏の二引きの紋が描かれています。現在も願いを込めて旗を奉納することができ、源頼朝と源氏の歴史を視覚的にも感じられる場所です。

撤去と復元

現在は源氏池を代表する景観となっている弁財天社ですが、明治時代には一度姿を消しています。
鶴岡八幡宮では長く神道と仏教が結びついた神仏習合の信仰が続き、弁財天も境内で信仰されていました。しかし明治時代に神仏分離が進められると、仏教と深く結びついていた弁財天社は撤去されました。
旗上弁財天社 社殿
その後、弁財天信仰は再興され、現在の社殿は1980年(昭和55年)、鶴岡八幡宮の創建800年を記念して復元されたものです。
復元にあたっては文政年間(1818~1830年)の古図が参考にされました。現在見られる朱塗りの社殿は、かつて源氏池にあった弁財天社の姿を伝えるように再現されています。
一度失われた社が約100年を経て源氏池に復活した歴史を知ると、現在の旗上弁財天社の見え方も変わってきます。
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御祭神とご利益

現在の御祭神は、多紀理毘売命・市寸島比売命・多岐都比売命の宗像三女神です。
宗像三女神は『古事記』『日本書紀』にも登場する女神で、八幡神とも深い関係があります。鶴岡八幡宮の本宮に祀られる比売神についても、宗像三女神とする信仰があります。なかでも市寸島比売命は、神仏習合によって弁財天と同一視されてきました。そのため神仏分離後の現在は弁財天そのものではなく、宗像三女神を御祭神として祀りながら、「旗上弁財天社」の名と信仰が受け継がれています。
弁財天は音楽や芸能、財福などに関わる神として広く信仰されてきました。旗上弁財天社では芸能成就をはじめ、家内安全、商売繁盛、必勝祈願、病気平癒、縁結びなどを願って参拝されています。
社殿を囲む白旗も、こうした願いを込めて奉納されたものです。朱色の社殿と源氏の白旗が並ぶ光景は、旗上弁財天社を象徴する見どころとなっています。
鶴岡八幡宮 弁財天の絵馬

鎌倉江の島七福神めぐり

旗上弁財天社は「鎌倉江の島七福神」の弁財天を祀る札所でもあります。
鎌倉江の島七福神は、鎌倉から江の島に点在する寺社を巡って七福神を参拝するもので、旗上弁財天社では弁財天を参拝します。
旗上弁財天社では御朱印を受けることもできます。通常の御朱印に加え、鎌倉江の島七福神巡りで訪れる人も多く、鶴岡八幡宮の本宮参拝とあわせて立ち寄りたい場所です。
旗上弁財天社 社務所
源氏池に浮かぶ朱塗りの社殿と無数の白旗を見るだけでなく、「旗上」の由来、明治時代の撤去と昭和の復元、宗像三女神と弁財天との関係を知ってから参拝すると、旗上弁財天社が鶴岡八幡宮の歴史のなかで受け継いできた信仰をより深く感じられます。

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