有名度
大関鶴岡八幡宮
つるがおかはちまんぐう
神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
3つの鳥居
更新日:2026年8月22日
鳥居の歴史
鶴岡八幡宮の表参道である若宮大路には、一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居の3基の鳥居が建っています。もっとも鶴岡八幡宮に近く、境内入口に建つ朱色の鳥居が三の鳥居です。そこから海へ向かうと、段葛の入口に二の鳥居、さらに由比ガ浜方面へ進んだ場所に石造の一の鳥居があります。3基をたどって歩くと、鶴岡八幡宮から由比ガ浜へ一直線に延びる若宮大路の長さを実感できます。

大きな転機となったのが江戸時代の1668年(寛文8年)です。それまで木造だった鳥居が、江戸幕府4代将軍・徳川家綱の時代に石造へと改められました。
この石造鳥居の建立には、2代将軍・徳川秀忠の夫人で、3代将軍・家光の母である崇源院(江)にまつわる逸話が伝わっています。
崇源院は家光を懐妊した際、鶴岡八幡宮に安産を祈願し、無事に出産しました。その後も八幡宮への崇敬を深め、ある日、夢の中で八幡大神から、備前国犬島の石を使って鶴岡八幡宮の大鳥居を建立するようお告げを受けたと伝えられています。
崇源院はその実現を家光に託しましたが、完成を見ることなく亡くなります。願いが実現したのは孫にあたる4代将軍・家綱の時代でした。遠く備前国犬島から石材が運ばれ、1668年に石造の鳥居が建立されました。
しかし、1923年(大正12年)の関東大震災で3基の石造鳥居はいずれも倒壊します。その後、一の鳥居は江戸時代の旧材をできる限り使用して石造の姿に復旧され、二の鳥居と三の鳥居は鉄筋コンクリート造の朱色の鳥居として再建されました。
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一の鳥居
3基の中でも特に歴史的価値が高いのが、由比ガ浜に近い一の鳥居です。「浜の大鳥居」とも呼ばれています。高さは約8.5m、柱の太さは約92cm。花崗岩で造られた明神鳥居の典型とされ、国の重要文化財に指定されています。

そのため、現在の一の鳥居にも江戸時代に建立された石造鳥居の部材が残っています。東側の柱には「寛文八年戊申八月十五日 御再興 鶴岡八幡宮石雙華表」という刻銘を見ることができ、1668年の建立当時の石材が現在まで受け継がれていることを実感できます。

鶴岡八幡宮の境内からはかなり離れているため、三の鳥居だけを見て参拝を終えると見逃してしまいます。時間に余裕があれば若宮大路を由比ガ浜方面へ歩き、朱色の二の鳥居・三の鳥居とはまったく印象の異なる石造の一の鳥居も見ておきたいところです。
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二の鳥居
二の鳥居は若宮大路の中央、段葛の南端に建つ朱色の鳥居です。鎌倉駅から3基の中でもっともアクセスしやすく、ここから三の鳥居へ向かって段葛が真っすぐに延びています。春には段葛の桜と朱色の鳥居を一緒に見ることができ、鶴岡八幡宮へ向かう参道の入口として印象的な景観をつくっています。

毎年1月4日に行われる鶴岡八幡宮の「手斧始式」では、神職や鳶職らが二の鳥居から段葛を進みます。普段は参拝者が行き交う段葛の入口ですが、祭事の際には鶴岡八幡宮へと続く正式な参道であることを改めて感じられる場所です。

三の鳥居
段葛を歩き終えた先、鶴岡八幡宮の境内入口に建つのが三の鳥居です。鶴岡八幡宮の鳥居として目にする機会がもっとも多い朱色の大鳥居で、鳥居をくぐると太鼓橋や源平池、その先へ続く境内が広がります。

現在は一の鳥居だけが石造、二の鳥居と三の鳥居が朱色の鉄筋コンクリート造となっています。それぞれの鳥居を個別に見るだけでなく、由比ガ浜近くの一の鳥居から二の鳥居、段葛、三の鳥居へと順番に歩くと、海から鶴岡八幡宮へ向かって造られた若宮大路そのものを一つの長い参道として楽しめます。
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