末社 今宮 | 鶴岡八幡宮 - 神社ファン

有名度

大関

鶴岡八幡宮

つるがおかはちまんぐう

神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31

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末社 今宮

更新日:2026年9月2日

今宮(新宮)

今宮は、鶴岡八幡宮の境内最奥に鎮座する末社です。「新宮」とも記され、現在は後鳥羽天皇・土御門天皇・順徳天皇の3柱をお祀りしています。
創建は1247年(宝治元年)4月25日。鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』をはじめ、『新編相模国風土記稿』『新編鎌倉志』などにもその由緒が記されています。
案内版と今宮社 社殿
今宮が建立された最大の理由は、1221年(承久3年)に起きた承久の乱にあります。
承久の乱では後鳥羽上皇が鎌倉幕府打倒を目指して挙兵しましたが、幕府軍に敗北。後鳥羽上皇は隠岐、順徳上皇は佐渡へ配流され、乱には積極的に関与しなかった土御門上皇も自ら望んで土佐へ移りました。
つまり後鳥羽上皇は、鎌倉幕府にとって自らを滅ぼそうとした敵方の中心人物でした。
その後鳥羽上皇を、源氏と鎌倉幕府にゆかりの深い鶴岡八幡宮で祀ったところに、今宮の歴史の大きな特徴があります。

後鳥羽上皇の怨霊を鎮める

後鳥羽上皇は隠岐で1239年(延応元年)に崩御しました。
その後、鎌倉では争いや騒動が起こり、災害なども相次ぎました。当時の人々は、こうした異変を非業の最期を遂げた後鳥羽上皇の怨霊と結びつけて考えるようになります。
『吾妻鏡』の1247年(宝治元年)4月25日条には、鶴岡の乾、すなわち北西の山麓に後鳥羽院の御霊を勧請したことが記されています。その目的についても、後鳥羽院の怨霊を鎮めるためであったことが明記されています。
今宮社 石碑
こうして承久の乱から26年後、後鳥羽上皇の御霊を慰めるために今宮が建立されました。敵対した人物であっても、その死後に怨霊となって災いをもたらすことを恐れ、神として祀る。今宮は、御霊を鎮めて災いを防ごうとした中世の御霊信仰を現在に伝える場所でもあります。
なお、現在は後鳥羽天皇とともに土御門天皇・順徳天皇が祀られていますが、鎌倉市中央図書館の調査では、土御門院と順徳院が祭神に加えられたのは明治以降とされています。創建当初から現在と同じ3柱を祀っていたわけではありません。
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境内で最も新しい社殿

今宮は鶴岡八幡宮の境内でも特に奥まった場所にあります。多くの参拝者が訪れる本宮や舞殿周辺から離れており、境内最奥の緑に囲まれた静かな場所に鎮座しています。
現在の社殿は2021年(令和3年)に竣工したもので、鶴岡八幡宮に現存する御社殿のなかでは最も新しい建物です。
本宮や若宮など歴史ある社殿を巡った後に今宮まで足を延ばすと、鶴岡八幡宮の境内で最も新しい社殿を見ることができます。
毎年6月7日には「今宮例祭」が執り行われます。これは1247年(宝治元年)4月25日の鎮座日を旧暦から現在の暦に推歩して定めた祭日で、後鳥羽・土御門・順徳の3天皇の御霊をお祀りします。
今宮社 社殿後側

天狗が住んでいた大杉

今宮には、天狗にまつわる興味深い伝承も残されています。
江戸時代に編纂された『新編鎌倉志』には、今宮の社殿の後ろに、根元から6本に分かれた大杉があったことが記されています。この大杉には天狗が住んでいたと伝えられていました。
大杉は現在残っていませんが、本宮や舞殿周辺の開けた景観とは異なり、周囲を木々に囲まれた静かな空間となっています。
鎌倉幕府と戦った後鳥羽上皇の御霊を鎮めるために建立された今宮。その背後には天狗が住むと伝えられた大杉があったという歴史を知ると、境内最奥に鎮座する今宮の独特な雰囲気をより深く感じられます。

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