末社 今宮 | 鶴岡八幡宮 - 神社ファン

有名度

大関

鶴岡八幡宮

つるがおかはちまんぐう

神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31

末社 今宮

更新日:2025年6月17日

今宮(新宮)

今宮の名は、「吾妻鏡」「新編相模國風土記稿」「新編鎌倉志」など、多くの書に残されています。新宮とも呼ばれます。
それらによると創建は1247(寶治元)年。承久の乱で敗北し、隠岐に流された後鳥羽上皇の御霊を慰めるため建立されました。
お祀りされているのは、後鳥羽天皇・土御門天皇・順徳天皇の三神です。
社殿は何度か建て替えられており、令和元年(2019年)の台風によって損壊、現在の社殿は、2121(令和3)年に竣工されました。6月7日には「今宮例祭」が行われています。
案内版と今宮社 社殿

祀られた経緯

歴史に詳しい方は鶴岡八幡宮内に後鳥羽上皇(後鳥羽天皇)が祀られていることを不思議に思うかもしれません。
後鳥羽上皇は承久の乱を起こし鎌倉幕府を倒そうした人物です。鎌倉幕府では敵である後鳥羽上皇がなぜ鶴岡八幡宮に祀られているのでしょうか?それには下記の理由があるとされています。
承久の乱で鎌倉幕府に破れ隠岐島に流布されました。
後鳥羽上皇は、配流後の嘉禎3年(1237)に
「万一にもこの世の妄念にひかれて魔縁(魔物)となることがあれば、この世に災いをなすだろう。我が子孫が世を取ることがあれば、それは全て我が力によるものである。疑うことなく我が菩提を弔うように」
との置文を遺していました。
すると延応元年(1239年)2月22日に後鳥羽上皇が崩御されると、鎌倉の至るところで争いがあり同年の5月22日には大騒動になりました。また日本全国で疫病や飢饉が発生しました。
鎌倉幕府は承久の乱で敗北し、隠岐に流された後鳥羽院(後鳥羽上皇)の怨念によるものとし、霊を祀るため今宮を建てて祀ったとされています。後鳥羽天皇だけではなく子息である土御門院(第一皇子)、順徳院(第三皇子)も合祀されています。
父の計画に協力した順徳上皇は佐渡島に流され、関与しなかった土御門上皇も自ら望んで土佐国にいってそれぞれ崩御し再会することなかった親子を合わせて祀ることによりいつまでも一緒にいられるように配慮したのかもしれません。
今宮社 石碑

天狗が住んでいた?

鶴岡八幡宮のもっとも奥、駐車場と鶴岡文庫の間にある細道の先に位置しており、緑が豊か。
江戸時代に編纂された「新編鎌倉志」には、「社の後ろに根元から6つに分かれている大杉があり、天狗が住んでいた」という記述が見られます。
現在大杉はありません。
今宮社 社殿後側

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