有名度
大関鶴岡八幡宮
つるがおかはちまんぐう
神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
末社 白旗神社
更新日:2026年8月22日
黒塗りの社
白旗神社は、鶴岡八幡宮の境内東側、若宮の奥に鎮座する末社です。御祭神は鎌倉幕府を開いた源頼朝と、3代将軍・源実朝です。白旗神社の創建は1191年(建久2年)とされ、もとは現在地ではなく上宮回廊の西側に鎮座していました。室町時代には、鎌倉公方が年頭に鶴岡八幡宮を参拝する際、本宮に先立って白旗神社を拝したと伝えられています。
さらに天文年間(1532~1555年)、北条氏綱による鶴岡八幡宮の修理・造営では、白旗神社が上宮の仮殿として使用されました。境内社でありながら、古くから高い格式を持つ社であったことが分かります。

1887年(明治20年)には、源実朝を祀っていた柳営社を合祀し、下宮奥の池の東側にあたる現在地へ移築されました。この移築に伴って本殿が改修され、その前には新たに拝殿が造られています。
白旗神社で特に印象的なのが、黒を基調とした社殿です。しかし、現在のような姿になったのは創建当初からではありません。本殿はもともと朱漆塗りを基調としており、明治30年(1897年)頃にほぼ全体が黒漆塗りへ改められました。
朱塗りの社殿が目立つ鶴岡八幡宮の境内では、その漆黒の姿がひときわ目を引きます。唐破風を備えた拝殿や金色の飾り金具、随所に見られる笹竜胆の紋などにも注目してみてください。
源頼朝と源実朝を祀ることから、必勝や出世開運、学業成就などを願う参拝者から信仰を集めています。
武衛殿
白旗神社の本殿には「武衛殿」と記された扁額が掲げられています。島津久光の筆と伝えられる扁額で、白旗神社を訪れたら見ておきたいポイントの一つです。「武衛」とは兵衛府の唐名です。源頼朝は平治の乱が起きた1159年(平治元年)に右兵衛権佐となったことから、「武衛」や「佐殿」と呼ばれました。
鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』でも、頼朝を指す呼称として「武衛」が使われています。
つまり「武衛殿」は、御祭神である源頼朝その人を表した名称です。黒漆塗りの社殿だけでなく、正面から見上げて頼朝ゆかりの扁額も探してみてください。

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豊臣秀吉と源頼朝
白旗神社には、豊臣秀吉と源頼朝を結びつける有名な逸話も残されています。1590年(天正18年)、小田原征伐を終えた秀吉は鎌倉を訪れ、鶴岡八幡宮を参拝しました。
このとき白旗神社に安置されていた源頼朝像と対面し、頼朝像に向かって、自分と頼朝はともに天下を取った「天下友達」であるという趣旨の言葉を語ったと伝えられています。秀吉は、頼朝は清和源氏という名門の出身で多くの武士を従えることができたのに対し、自分は家柄を持たない身から天下を取ったのだから、自分の方が勝っていると語り、最後には頼朝像の背中をたたいたという逸話です。
秀吉が1590年に鎌倉を訪れたことと、頼朝像を見たことを核として後世に伝えられた有名な逸話で、「天下友達」という言葉とともに現在まで語り継がれています。
なお、白旗神社に安置されていたと伝わる木造源頼朝坐像は、現在は東京国立博物館に所蔵されています。

白旗神社の祭り
毎年5月28日には「白旗神社例祭」が行われ、御祭神である源頼朝と源実朝を祀ります。8月9日には、源実朝の誕生日にあわせて「実朝祭」が行われます。実朝は鎌倉幕府の将軍である一方、優れた歌人としても知られ、私家集『金槐和歌集』を残しました。実朝祭では、その遺徳をしのんで短歌会も催されます。
さらに10月28日には「文墨祭」が行われます。歌人として数多くの和歌を残した実朝を顕彰する祭典です。
白旗神社は、頼朝と実朝という鎌倉幕府を代表する2人の将軍を祀るだけでなく、鎌倉時代から続く高い格式、1828年(文政11年)の本殿、漆黒の社殿、武衛殿の扁額、秀吉と頼朝の逸話など、多くの見どころを持つ境内社です。
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