有名度
大関鶴岡八幡宮
つるがおかはちまんぐう
神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
大石段・楼門・本宮・ご利益
更新日:2026年8月22日
61段の大石段
鶴岡八幡宮の境内を進むと、正面に本宮へと続く大石段が現れます。石段は全部で61段あり、その上には朱塗りの楼門がそびえています。大石段を上りきったら、一度振り返ってみてください。眼下には舞殿や参道、その先に続く鎌倉市街を一望できます。天気の良い日には、さらに遠く相模湾まで望むことができます。

1219年(建保7年)1月27日、右大臣拝賀のため鶴岡八幡宮を参拝した実朝は、参拝を終えた後、2代将軍・源頼家の子で鶴岡八幡宮別当を務めていた公暁に襲われ、命を落としました。
大石段の左手には、かつて「隠れ銀杏」と呼ばれた大銀杏があり、公暁がその陰に隠れて実朝を待ち伏せしたという伝承も残されています。

美しい眺望を楽しめる大石段ですが、鎌倉幕府の歴史を大きく動かした事件の舞台でもあることを知っておくと、見え方も変わってきます。
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楼門・随身像・鳩の扁額
61段の大石段を上った正面に建つのが、本宮の楼門です。現在の本宮一帯は1821年(文政4年)の火災で焼失した後、江戸幕府11代将軍・徳川家斉によって1828年(文政11年)に再建されました。楼門は入母屋造、銅板葺の堂々とした門で、左右には回廊が続いています。

寺院の門では仁王像を見ることがありますが、鶴岡八幡宮の楼門を守るのは随身です。向かって右側には口を開いた阿形、左側には口を閉じた吽形の随身が安置され、武具を身につけて本宮を守っています。

よく見ると「八」の字が普通の漢字ではなく、向かい合った2羽の鳩によって表現されています。鳩は古くから八幡神の神使とされ、八幡信仰と深い関わりを持つ鳥です。

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国の重要文化財 本宮
楼門の先に鎮座する本宮は「上宮」とも呼ばれ、応神天皇、比売神、神功皇后の3柱をお祀りしています。本宮の創建は1191年(建久2年)です。この年、鎌倉の大火によって山麓の若宮が焼失すると、源頼朝は背後の大臣山を切り開き、現在の本宮がある場所に新たな社殿を造営しました。これによって山上の本宮と山麓の若宮からなる、現在につながる上下両宮の形が整えられました。
その後も武家から篤い崇敬を受け、安土桃山時代には豊臣秀吉や徳川家康、江戸時代には徳川将軍家によって修理や造営が行われました。
現在の本宮は、1821年(文政4年)の火災後、11代将軍・徳川家斉によって1828年(文政11年)に再建されたものです。
本殿・幣殿・拝殿が一体となった社殿で、本殿は九間社流造、幣殿を挟んで入母屋造の拝殿が続きます。朱を基調とした社殿には彫刻や彩色が施され、江戸時代後期らしい華やかな姿を現在に伝えています。

本殿・幣殿・拝殿、回廊、末社武内社本殿は、江戸時代後期を代表する神社建築として、1996年(平成8年)に「鶴岡八幡宮上宮」の名称で国の重要文化財に指定されました。
大石段の下から見上げる楼門は鶴岡八幡宮を代表する景観ですが、その先にある本宮そのものも約200年前の建築です。参拝の際には、朱塗りの社殿や彫刻、彩色にも注目してみてください。
本宮 ご利益
本宮には、応神天皇、比売神、神功皇后が祀られています。鶴岡八幡宮で特に知られているのが、勝運・厄除・開運などの信仰です。応神天皇と同一視される八幡神は、古くから武神として信仰され、特に源氏から氏神として篤く崇敬されました。
源頼朝も八幡神への信仰が篤く、鎌倉に入ると鶴岡八幡宮を現在地へ遷し、幕府の重要な祭祀の場として整備しました。鎌倉幕府が成立すると、鶴岡八幡宮は武家の守護神として崇敬を集め、八幡信仰も全国の武士へと広がっていきます。
こうした歴史から、現在も勝負運や仕事運、厄除、開運などを願う参拝者から信仰を集めています。

大石段を上り、楼門をくぐった先に鎮座する本宮は、鶴岡八幡宮参拝の中心です。源氏と八幡信仰の深い結びつきを知ったうえで参拝すると、なぜ鶴岡八幡宮が勝運や出世開運の神社として信仰されてきたのか、その背景も分かりやすくなります。
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