楼門・本宮・ご利益・大石段 | 鶴岡八幡宮 - 神社ファン

有名度

大関

鶴岡八幡宮

つるがおかはちまんぐう

神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31

楼門・本宮・ご利益・大石段

更新日:2025年6月17日

61段の大石段

本殿への入口となる本宮楼門の前には、61段ある大石段があります。大石段を昇りきって振り返ると、鎌倉市街が一望。天気がよい日には、相模湾を見ることができます。楼門前にたどり着いたら、ぜひ眼前に広がる景色を楽しんでください。
楼門と大石段
この大石段に隠れ銀杏の舞台とされ、階段を上る場合、左側にかつて大銀杏がありました。この場所は隠れ銀杏の場所とされ、三代将軍実朝が甥の公暁に暗殺されたとする場所です。下から数えて13段目の階段という噂があるようですが、吾妻鏡などでは詳しい場所は言及されていません。
大石段

楼門・随身像

61大石段を上ると立派な楼門が鎮座されています。1821年(文政4年)の火災で本宮、楼門、新宮社などは焼失してしまい、1828年(文政11年)に徳川家斉によって再建されたものです。八脚門、入母屋屋根銅板本瓦状葺で両脇は回廊になっています。
楼門
楼門の左右に安置されている像にも注目です。全国各地、多くの寺院で見られるのは阿形・吽形の仁王像ですが、鶴岡八幡宮の楼門には、阿形・吽形の随身が安置されています。全国でも随身像がある神社は多くなく、珍しいです。扁額にも八幡宮の下に寺の文字があったという話もあり、神仏習合だった時代を感じさせます。
向かって右手、阿形の随身は刀、左手の吽形の随身は、矢を持ち、門を守っていることから、随身門と呼ばれることもあります。
随身像

楼門扁額

楼門をくぐる前、見逃せないもののひとつが扁額です。縦幅約108cm、横幅約56cmの扁額には「八幡宮」と記されていますが、八の字は二羽の鳩になっています。鳩は八幡神のお使いといわれている神聖な鳥です。鎌倉時代では、戦で勝利を呼ぶ鳥として、鳩の絵柄を家紋にする武士も多かったといわれています。
楼門の扁額

国の重要文化財 本宮

国の重要文化財である本宮には、応神天皇・比売神・神功皇后の三神がお祀りされています。創建は1191(建久2)年です。当時、町屋で起こった火災が境内にも広がり、若宮が焼失したため、源頼朝の指示により、現在のような本宮・若宮の形に整備されました。その後、幾度も火災に遭いますが再建されています。
1590(天正18)年には、豊臣秀吉が徳川家康に修理・造営を指示。本殿は内陣と外陣に分ける三間社流造としたことが記録に残っています。1592(文禄元)年には、徳川家康が鶴岡八幡宮造替を計画します。江戸の威信をかけた御造営は、二代将軍・秀忠が事業を受け継ぎ、1624(寛永元)年に正遷宮の運びとなりました。
1821(文政4)年にはまた火災が起こり、本宮は焼失してしまいますが、1828(文政11)年、第十一代将軍・家斉により再建され、現在の権現造となりました。しかし1923(大正12)年の関東大震災で倒壊。現在の本宮は、関東大震災後に再建された建物になります。
丸山稲荷社からみえる本殿の一部

本宮 ご利益

本宮には、応神天皇・比売神・神功皇后の三神がお祀りされています。
主なご利益は「勝負」「出世開運」です。また鶴岡八幡宮は元々厄除信仰で有名な京都の石清水八幡宮から勧請されたので「厄除」のご利益も有名です。
祭神の応神天皇は八幡大神と同神とされ、清和天皇の嫡流である源氏は八幡大神を氏神としています。
源頼朝が鎌倉に幕府を開くと武家社会の中心である源氏が信仰した八幡大神は全国の武家に「厄除開運」や「必勝」、「弓矢の神」として全国に勧請されました。八幡系の神社は全国多く広がっています。
八幡系神社の中で三大八幡宮の一つと数えられる鶴岡八幡宮は「厄除開運」や「必勝」はもちろん、鶴岡八幡宮を開いた源頼朝が流罪にされた身から征夷大将軍まで出世したために「出世開運」のご利益があるとされています。
賽銭箱の神紋

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