板垣退助の墓・宝物殿 | 品川神社 - 神社ファン

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品川神社

しながわじんじゃ

東京都品川区北品川3-7-15

板垣退助の墓・宝物殿

更新日:2025年11月19日

板垣退助の墓

品川神社の拝殿裏手には、自由民権運動の指導者として知られる板垣退助の墓所があり、品川区指定文化財(史跡第4号)に登録されています。墓所へは拝殿右手から続く道を進むと到達し、境内の喧騒から離れた静かな一角に位置しています。
板垣退助の墓の説明版と墓たち
この地はもともと、東海寺の塔頭であった高源院の墓地でした。板垣退助はこの高源院墓地に葬られていましたが、1923(大正12)年の関東大震災後、高源院が世田谷区烏山へ移転した際にも、板垣家の墓域だけは品川神社に接する形で残されました。そのため現在も、江戸から明治にかけての寺院墓地の雰囲気をとどめた貴重な史跡となっています。
墓所には、板垣退助の墓石と、隣に絹子夫人の墓石が並んでいます。退助の墓石正面には法名「邦光院殿賢徳道円大居士」、背面には「従一位勲一等伯爵板垣退助之墓」と位階・勲位・伯爵の爵位が刻まれ、政治家としての高い功績を今に伝えています。また、墓石の横には、遊説中の岐阜で襲撃を受けた際に残したとされる名言「板垣死すとも自由は死せず」を刻んだ碑が建てられ、自由民権運動の象徴として多くの参拝者が足を止めます。
板垣退助の墓
板垣退助は1837(天保8)年に土佐国中島町に生まれ、幕末には藩主山内容堂を補佐し、明治維新期には軍務・行政に携わりました。維新後は自由民権運動の中心人物として自由党を創設し、国会開設を求めて全国を遊説。帝国議会開設後は自由党総理として活躍し、内務大臣も務めました。1919(大正8)年に83歳で没し、その生涯は日本の議会政治の礎を築いたものとして評価されています。
板垣死すとも自由は死せずと刻まれた碑
品川神社の板垣退助墓所は、近代日本史を象徴する史跡であり、参拝者が静かに手を合わせる場所として今も大切にされています。境内を訪れた際には、本殿や富士塚、各末社とあわせてこの墓所にも足を運ぶことで、品川の地と自由民権運動との深い結びつきを実感することができます。

宝物殿

徳川初代将軍・家康公が奉納した神輿(葵神輿)や舞楽の面など、歴史ある品が展示されています。
宝物殿
1600(慶長5)年に奉納された鳳輦型の神輿(葵神輿)は、台上に円柱を方形に立て、立花文を型押しした金銅板の屋根を支えています。胴の前部は唐戸、他三面は牡丹唐草文毛彫の金銅板。彫刻の少ない胴部は大きく、江戸時代・初期の特徴を見ることができます。貴重な神輿は1989(平成元)年、品川区指定有形文化財に認定されました。

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