訣別の碑 | 代々木八幡宮 - 神社ファン

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代々木八幡宮

よよぎはちまんぐう

東京都渋谷区代々木5-1-1

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訣別の碑

更新日:2026年8月21日

代々木深町との別れを刻んだ石灯籠

代々木八幡宮の参道を挟んで左右に立つ一対の石灯籠は、「訣別の碑」と呼ばれています。
明治40年(1907)11月11日、現在の代々木公園一帯に陸軍練兵場を建設するため、代々木深町を含む土地が練兵場に指定されました。それまでこの地には住民の家々がありましたが、練兵場の建設によって移転を余儀なくされます。
訣別の碑
長年同じ土地で暮らしてきた住民たちは各地へ離ればなれとなり、自分たちが暮らしてきた「代々木深町」という地名も失われることになりました。その別れを惜しみ、故郷の記憶を後世へ残すため、明治42年(1909)1月に奉納されたのが現在の石灯籠です。

石灯籠に刻まれた住民たちの言葉

訣別の碑には、移転を経験した住民たちの思いが刻まれています。
拝殿に向かって左側の灯籠には、代々木深町が陸軍練兵場に指定された経緯とともに、
「常ニ一家ノ如クナル温情深キ住民ハ区々ニ移転スルノ際」
と刻まれています。住民たちが家族のように親しく暮らしていたこと、その人々が各地へ移転することになったことを伝える言葉です。
右側には、
「各々其ノ別ルルヲ惜ミ又字ノ消サラン事ヲ想ヒ、茲ニ燈ヲ納メテ之ヲ紀念トス」
と刻まれています。
互いに別れることだけでなく、「字ノ消サラン事」、つまり代々木深町という地名そのものが消えてしまうことを惜しんで灯籠を奉納したことが分かります。灯籠には17名の奉納者の名前も刻まれています。
現在では参道に自然に溶け込んでいますが、ここに暮らしていた人々が自分たちの町の記憶を残すために奉納した石灯籠なのです。
代々木八幡宮 訣別の碑 石灯籠に刻まれた住民たちの言葉
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100年後に行われた修復

建立から約100年が経過すると、灯籠に刻まれた人名は風化によって読み取りにくくなり、灯籠にも傾きが生じていました。
平成19年(2007)、陸軍練兵場への移転から100年を迎えるのを機に修復が行われました。きっかけとなったのは、灯籠に名前を刻まれた奉納者の子孫です。縁故者へ協力を呼びかけ、最終的には7名と代々木八幡宮による共同事業として実現しました。
訣別の碑に刻まれた奉納者名
修復では、薄くなっていた奉納者の名前を刻み直し、傾いていた灯籠も据え直されました。故郷との別れを惜しんだ住民たちが明治42年に残した灯籠を、約100年後にその子孫や縁故者たちが再び守ったことになります。

現在も残る代々木深町の記憶

現在の代々木公園からは想像しにくいですが、かつてこの一帯には「代々木深町」という町があり、人々の暮らしがありました。
なかでも碑文の「又字ノ消サラン事ヲ想ヒ」という一節は、住居を離れるだけでなく、自分たちの町の名前まで失われることを惜しんだ住民たちの思いを現在に伝えています。
代々木八幡宮を参拝する際には、参道の石灯籠にも注目してみてください。現在の代々木公園が陸軍練兵場となる以前の土地と、そこに暮らした人々の記憶を伝える貴重な碑です。

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