訣別の碑・表忠碑・臼田亜浪の碑 | 代々木八幡宮 - 神社ファン

有名度

関脇

代々木八幡宮

よよぎはちまんぐう

東京都渋谷区代々木5-1-1

訣別の碑・表忠碑・臼田亜浪の碑

更新日:2025年6月16日

訣別の碑

参道を挟んで左右に建つ灯篭は、1909(明治42)年、代々木の原(現・代々木公園)に陸軍練兵場を建設するため移住を余儀なくされた住人らが、この地との別れを惜しみ奉納した灯篭です。
訣別の碑
灯篭の竿石部には訣別の言葉が刻まれており、拝殿に向かって左の灯篭には「大字代々木深町ハ明治四十年十一月十一日陸軍練兵場ニ指定セラレタリ、常ニ一家ノ如クナル温情深キ住民ハ区々ニ移転スルノ際」という文言が。拝殿に向かって右側の灯篭には、「各々其ノ別ルルヲ惜ミ又字ノ消サラン事ヲ想ヒ、茲ニ燈ヲ納メテ之ヲ紀念トス 明治四十二年一月建設 良曠拝書」という文言と、17名の奉納者の名を見ることができます。
訣別の碑に刻まれた奉納者名

表忠碑

御神木の隣に位置しています。1904~1905(明治37~38)年の日露戦争に出征した、近隣住民の方の名が刻まれています。海軍中将・小笠原長生子爵が揮毫したこの碑は幡代小学校内に建立されましたが、第二次世界大戦後、軍国主義の象徴であるとされ取り壊しの危機に合い、有志により代々木八幡宮の境内に移されました。毎年3月23日には慰霊祭が行われています。
表忠碑

臼田亜浪の碑

大須賀乙字とともに俳誌「石楠(しゃくなげ)」を創刊し、高浜虚子に対抗した俳人・臼田亜浪は、一時期、代々木山谷(現在・代々木3丁目)に住んでいました。臼田亜浪の姿と「そのむかし 代々木の月の ほととぎす」という句が刻まれた碑は、1934(昭和9)年、「石楠花」の創刊20周年を記念し有志により建てられました。
臼田亜浪の碑

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