有名度
関脇代々木八幡宮
よよぎはちまんぐう
東京都渋谷区代々木5-1-1
表忠碑・臼田亜浪の碑
更新日:2026年8月21日
表忠碑
代々木八幡宮の御神木近くには、日露戦争に出征した地域の人々を記念する「表忠碑」が建っています。明治37~38年(1904~1905)の日露戦争に出征した代々木周辺の住民の名前が刻まれた碑で、題字は海軍中将・小笠原長生子爵が揮毫しました。
表忠碑は、もともと現在の渋谷区立幡代小学校の敷地内に建立されていました。しかし第二次世界大戦後、軍国主義を象徴するものとして取り壊されることになり、それを惜しんだ地域の有志によって代々木八幡宮の境内へ移されました。
戦前に建てられた碑が、戦後には撤去の対象となりながらも、地域の人々の手によって保存されたことになります。現在では戦争を賛美するためのものではなく、日露戦争に出征した地域の人々の名前を残し、その歴史を伝える碑として境内に残されています。

代々木八幡宮には、陸軍代々木練兵場の建設によって故郷を離れた住民たちが奉納した「訣別の碑」も残されています。表忠碑とともに、現在の代々木からは見えにくくなった地域と近代日本の戦争との関わりを伝える史跡です。
スポンサーリンク
臼田亜浪の碑
境内には、代々木に暮らした俳人・臼田亜浪の姿と句を刻んだ文学碑もあります。臼田亜浪は大須賀乙字とともに俳誌『石楠(しゃくなげ)』を創刊した俳人です。俳句雑誌『ホトトギス』を中心に大きな影響力を持っていた高浜虚子とは異なる立場から俳句の革新を目指し、独自の俳句活動を展開しました。
亜浪は一時期、現在の代々木3丁目にあたる代々木山谷に暮らしており、代々木にゆかりのある文化人の一人です。

「そのむかし 代々木の月の ほととぎす」
の句が刻まれています。
碑は昭和9年(1934)、俳誌『石楠』の創刊20周年を記念して有志によって建立されました。
臼田亜浪が暮らした時代の代々木は、現在のように住宅やビルが密集する街ではありませんでした。その後、代々木周辺は急速に都市化し、土地の風景も大きく変化していきます。「そのむかし」と詠まれた句とともに、かつての代々木をしのばせる文学碑となっています。
代々木八幡宮の境内には、神社そのものの歴史だけでなく、地域に暮らした人々の記録や文化を伝える碑も残されています。表忠碑が近代の戦争と代々木の人々との関わりを伝えるのに対し、臼田亜浪の碑はこの地に暮らした文化人と、移り変わってきた代々木の姿を現在へ伝えています。
この記事を0人の方がいいねといっています
スポンサーリンク
代々木八幡宮の人気記事
-
人気のパワースポット 末社 出世稲荷社この記事を5人が評価
-
別宮 榛名社・天神社・稲荷社この記事を2人が評価
-
御社殿・御祭神・ご利益この記事を2人が評価
