有名度
関脇乃木神社
のぎじんじゃ
東京都港区赤坂8-11-27
教育の碑・竹添井々文学碑・双殉行碑・乃木神社之碑・復興之記
更新日:2025年9月8日
教育の碑
拝殿に向かって左手にあるのが教育の碑です。1907(明治40)年、乃木希典命は学習院の院長に任命されました。碑に刻まれているのは、生徒心得として明治天皇が賜った御製です。「いさをある人を しえの親にして おほしたてなむ やまとなでしこ」という歌には、国家勲功のある乃木将軍のような人物を学習院院長とし、皇国の未来を担う子弟の教育にあたらせたいというお心が込められています。碑の文字は、当時の御歌所所長である高崎正風氏が謹書したものです。
竹添井々文学碑
二の鳥居をくぐって真っ直ぐ進んだ右手には、竹添井々文学碑があります。竹添井々(たけぞえせいせい)は、明治時代に外交官として活躍したのち、東京帝国大学の教授を務めた漢学者です。優れた詩文の才を持ち、明治期の日本における対韓外交においても重要な役割を果たした人物です。彼の功績を称えた文学碑には、漢詩文学の精神や乃木将軍との精神的な繋がりを記念して、「竹添井々の文学を讃える詩文」が刻まれています。
双殉行碑
文学碑の右隣には、竹添井々(井々竹添光鴻)による乃木希典命を称える漢詩碑、「双殉行碑(そうじゅんこうひ)」が建っています。大正元年(1912年)に明治天皇の大葬の日、乃木希典・静子夫妻が自邸で自刃されたことを悼み、井々居士竹添進一郎氏が作成した哀詩「双殉行」を刻んだ石碑です。夫妻の忠義の心や、明治日本における武士道・夫婦和合の精神を後世に伝えるための文学的な記念碑となっています。
乃木神社之碑
乃木神社之碑は、境内参道の屈曲部、社殿へ向かう途中の土手の壁に設置された銅製の盤です。1931(昭和6)年に建立されました。乃木神社の創建や由来を記した公式顕彰碑であり、大正12年(1923年)の鎮座以来の歴史や、乃木希典夫妻の精神、神社の存在意義を伝えています。緑青色に変色した銅板には、由緒や精神的遺産が刻まれており、参拝者に神社の歴史と理念を伝える重要な記念碑となっています。
乃木神社復興之記
乃木神社復興之記は、昭和20年(1945年)の空襲で社殿が焼失した後、全国の崇敬者や市民の尽力により神社が復興したことを記念する金属板の碑です。1978(昭和53)年に建立されました。焼失直後に復興計画が立案され、昭和23年以降順次再建が進められ、昭和37年(1962年)に現在の社殿が完成しました。碑文には、復興の経緯と関係者への感謝の思いが刻まれています。
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