山車展示場・宮神輿庫 | 赤坂氷川神社 - 神社ファン

有名度

関脇

赤坂氷川神社

あかさかひかわじんじゃ

東京都港区赤坂6-10-12

山車展示場・宮神輿庫

更新日:2025年9月2日

山車展示場

手水舎の向かい側には、9月の「例祭・赤坂氷川祭」に曳き出される山車が展示されています。
山車展示場
山車は神輿同様、祭礼時に神様が降りて来られる依り代です。山車の特徴は全国各地、それぞれで異なりますが、赤坂氷川神社の山車はカラクリ人形を備えた「江戸型山車」。徳川家の将軍がご覧になる上覧に際し入城を考慮したもので、城門をくぐる際は人形を下げ、城門をくぐったあとに人形を上げられるようになっています。赤坂氷川神社の山車は入城することはありませんでしたが、当時、山車が13本あったことから、徳川幕府から篤い信仰と庇護を受けていたことがわかります。
明治時代以降、祭や山車は衰退、さらに関東大震災、第二次世界大戦の東京大空襲、老朽化などで山車は姿を消していきました。しかし赤坂氷川神社の倉庫で、奇跡的に山車の一部と9体の人形が発見されました。
現在、山車は境内に2本、赤坂4丁目の国際医療福祉大学に1本展示されています。境内に展示されているのは「頼義」と「猿」です。「頼義」は、源頼義が水に飢えていた際、石清水八幡宮に祈念し岩に弓を立てたところ清水が湧きだしたという「石清水伝説」に由来しており、人形が両手で弓を持ち、岩を突く姿となっています。また上段幕には、岩から清水があふれ出る様子が刺繍されています。基本的に山車は二層型ですが、「頼義」は珍しい三層型ということも大きな特徴です。
「猿」に飾られているのは神使である猿です。必ず行列の先頭を進む山車のため、お祓いをする御幣を担いでいます。赤坂氷川神社のなかで唯一、上段部が六角形になっています。
国際医療福祉大学の「翁」は、江戸時代の名工・松雲斎徳山が手掛けたものです。人形の翁は、能の演目「翁」のこと。能は「神(しん)・男(なん)・女(にょ)・ 狂(きょう)・鬼き」の5種に分けられますが、「翁」は別格の神事芸といわれており、演者は神を宿し、天下泰平・国土安穏を願います。
2006(平成18)年に祭礼が復活した際、からくり人形は修復され、新たな山車が造られました。江戸時代の祭文化を伝える貴重な人形を保全するため、現在の「例祭・赤坂氷川祭」ではレプリカが用いられています。2022(令和4)年、山車人形と山車附属品は、港区指定文化財となりました。
赤坂氷川山車江戸村のとくぞう (wikipedia CC 表示-継承 4.0)

宮神輿庫

2016(平成28)年、徳川家8代将軍吉宗公の将軍就任300年に合わせ、宮神輿が復元新調され、約100年ぶりに渡御しました。
かつて、赤坂氷川神社には2基の宮神輿がありましたが、1基は譲渡され、1基は太平洋戦争時の東京大空襲で焼失。そのため、戦後は町会神輿のみ渡御していました。焼失した宮神輿の大きさは台輪寸法5尺(約1.5m)と大型で、人が担ぐことができないため牛で曳いていたと伝えられています。
復元された宮神輿は現代に合わせ、台輪寸法4尺(約1.2m)となりましたが、姿形を再現し総漆塗、破風屋根で、胴羽目部分には御社殿内にある「祭礼山車行列額絵」の彫刻が施されています。
宮神輿

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