小唄顕彰碑・新派碑・文具至宝碑・講談高座碑・努力碑(王貞治) | 湯島天満宮 - 神社ファン

有名度

関脇

湯島天満宮

ゆしまてんまんぐう

東京都文京区湯島3-30-1

小唄顕彰碑・新派碑・文具至宝碑・講談高座碑・努力碑(王貞治)

更新日:2025年8月9日

小唄顕彰碑

1959(昭和34)年、江戸小唄の功労者を讃え建立されました。小唄は三味線の爪弾きに合わせて歌う短い曲で、端唄から派生したものです。季節や心情を歌うほか地名が盛り込まれることも多く、「湯島境内」という小唄もあります。
碑には、小唄を広めた作詞・作曲者、家元、師匠などの名が刻まれており、流派や師弟の系譜を記録して文化保存にも資しています。
小唄顕彰碑

新派碑

劇団新派の起源となる「大日本壮士改良演劇会」が誕生したのは1888(明治21)年。以降各地で上演し、多くの人気を集めました。昭和初期には複数の一座がありましたが、第二次世界大戦に劇団新派として統合します。
石碑は1977(昭和52)年、新派創立90周年を迎えたことを記念し、水谷八重子氏と松竹株式会社により建てられました。揮毫は作家・川口松太郎氏、設計は舞台美術家・中嶋八郎氏によるものです。
石碑は新橋演舞場の玄関脇に建てられましたが、新橋演舞場の改築にあたり、1979(昭和54)年、湯島天満宮に移設されました。
新派は古くから、文豪・泉鏡花氏の「婦系図」を舞台化しています。作品に湯島天満宮の名は出ていませんが、新派で上演された際、もっとも有名な場面を「湯島境内の場」としたことで、湯島天満宮と縁が生まれています。
また石碑の左に建つ梅の木は1956(昭和31)年、新派の名優として知られた花柳章太郎(はなやぎしょうたろう)氏が献木したものです。
新派碑

文具至宝碑

文房四宝として絵・筆・墨・硯が中国から伝わった時代から現代まで、文化を育成し、戦後復興の原動力ともなった文具を讃える石碑です。1989(平成元)年に建立されました。
文具至宝碑

講談高座碑

江戸時代、話芸である講談は庶民の人気を集めていました。多くは街角で、聴衆と同じ高さに立ち演ずるものでしたが、湯島天満宮境内で活動していた講談師、伊東燕晋(いとうえんしん)は、徳川家初代将軍・家康公の偉業を語る際、高さ3尺の高座を設けました。これが高座の始まりといわれています。
石碑は人間国宝の講談師、龍斎貞水(いちりゅうさいていすい)氏により建てられました。高さ約2.1mの石碑には、高座が誕生したいきさつが刻まれています。
講談高座碑

努力碑(王貞治)

1977(昭和524)年、読売ジャイアンツの王貞治氏は、世界記録となる本塁打756号を達成。国内初の国民栄誉賞や正力松太郎賞を受賞しました。この記念として王氏は、崇敬する湯島天満宮に白梅を一樹献木します。
石碑は王氏の功績を讃え、有志により建立されたものです。高さ2.3mの石碑には、王氏の座右の銘である「努力」の文字が刻まれています。

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