文豪の石・森鴎外碑銘水・森鴎外旧宅 | 根津神社 - 神社ファン

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関脇

根津神社

ねづじんじゃ

東京都文京区根津1-28-9

文豪の石・森鴎外碑銘水・森鴎外旧宅

更新日:2025年10月30日

文豪の石

楼門の左後方にある長方形の石は、かつて近隣に住んでいた森鴎外や夏目漱石が座したという石です。
文豪の石
森鴎外が台東区池之端から文京区向丘に移り住んだのは1890(明治23)年のことです。1892(明治25)年には文京区千駄木に引っ越し、その後30年にわたり文京区に居住していました。また夏目漱石も1903(明治36)年から3年間、文京区向丘に住居していました。森鴎外の「青年」、夏目漱石の「道草」や「三四郎」には、根津神社の名を見ることができます。

森鴎外碑銘水

円形の水飲み場台座は、日露戦争時に陸軍軍医だった森林太郎(森鴎外)が、戦勝記念に奉納した戦利砲弾です。奉納時には台座と同じ直径のロシア大砲の弾が乗っていましたが、第二次世界大戦時、金属供出されました。台座正面に刻まれている「我武維揚」は、明治天皇が軍隊に下した「軍人勅諭」に記載されている言葉です。
森鴎外碑銘水

森鴎外旧宅

神橋の右手に森鴎外の旧宅が移築旧宅はされました。鴎外が文京区に移る前に住んでいた台東区池之端の邸宅で、「舞姫」が執筆された地としても知られています。鴎外が居住したのは2年ほどですが、たいへん歴史的価値が高いとされ、約80年前に購入した水月ホテルは、「水月ホテル鷗外荘」として大切に管理していました。
森鴎外旧宅
しかし新型コロナウイルスの影響を受け2020年に閉館。旧宅の移築先を探し、鴎外にゆかりのある根津神社に移築することとなりました。移築費用はクラウドファンディングにより調達されました。2025年8月1日に竣功祭が行われ、「第二客殿(舞姫の家)ー森鴎外旧居・旧赤松家住宅ー」と名付けられました。この建物は、もともと森鷗外の最初の妻・登志子さんの父である赤松則良氏(海軍中将・男爵で「日本造船の父」と称される)の邸宅でした。森鷗外は登志子さんと結婚後、この家に移り住み、ここで名作『舞姫』を執筆したと伝わります。こうした由緒を踏まえ、その歴史を名称に込めています。
この第二客殿(舞姫の家)は当面は神社の客殿として使用いたしますので、一般公開の時期は未定となっています。
森鴎外旧宅と池

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