末社 招魂殿 | 玉前神社 - 神社ファン

有名度

小結

玉前神社

たまさきじんじゃ

千葉県長生郡一宮町一宮3048番地

😞 🙁 😐 🙂 😄

末社 招魂殿

更新日:2026年8月19日

招魂殿

玉前神社の境内にある招魂殿は、日清戦争・日露戦争から第二次世界大戦までの戦争で亡くなった、一宮町出身の戦没者を祀る社殿です。大正12年(1923)に建立され、325柱の御霊が祀られています。
招魂殿
招魂殿が建立された大正12年は、日清戦争の終結から約30年、日露戦争の終結から約20年が経過した時期にあたります。その後、第二次世界大戦までの戦没者も祀られるようになり、一宮町から戦地へ赴き亡くなった人々を慰霊する場所として現在まで大切にされています。
社殿は神明造で、直線を基調とした簡素で端正な姿が特徴です。黒漆塗りで装飾性の高い玉前神社の本殿・幣殿・拝殿とは趣が異なり、境内のなかでも独特の雰囲気を持つ建物です。
玉前神社 招魂殿 勇死救亜洲碑
招魂殿の右側には、昭和31年(1956)に建立された「勇死救亜洲碑」があります。戦没者を顕彰するために建てられた石碑で、招魂殿に祀られている325柱の氏名が刻まれています。
碑の篆額を手掛けたのは、一宮藩主を務めた加納家の後裔で、建立当時に千葉県知事を務めていた加納久朗です。加納久朗は最後の一宮藩主・加納久宜の孫にあたり、昭和30年(1955)から昭和34年(1959)まで千葉県知事を務めました。江戸時代に一宮を治めた加納家の子孫が、戦後に建てられた碑に名を残している点も、この場所の歴史を知るうえで注目したいところです。
砲弾
また、招魂殿の前には大きな砲弾が2つ安置されています。社殿、325柱の名を刻んだ石碑、そして砲弾が一か所に残されており、近代以降の戦争と一宮町との関わりを現在に伝えています。
上総国一宮として長い歴史を持つ玉前神社の境内には、古代から続く信仰や江戸時代の社殿だけでなく、近代の歴史を伝える場所もあります。招魂殿を訪れた際には社殿だけでなく、右側の勇死救亜洲碑や正面に置かれた2つの砲弾もあわせて見ておきたいところです。

この記事を0人の方がいいねといっています



スポンサーリンク

玉前神社の人気記事