太田道灌手植えの矢竹 | 川越氷川神社 - 神社ファン

有名度

大関

川越氷川神社

かわごえひかわじんじゃ

埼玉県川越市宮下町2-11-3

太田道灌手植えの矢竹

更新日:2025年7月4日

太田道灌ゆかりの矢竹

大鳥居をくぐり参道を進んだ先、本殿に向かって右手側には「太田道灌手植えの矢竹」を見ることができます。その名の通り、太田道灌が自ら植樹したとされる矢竹です。柵で囲われた中に植えられており、正面には案内板が立っていますので、迷わず見つけることができます。
太田道灌手植えの矢竹
道灌は植えた矢竹を見ながら「老いらくの 身をつみてこそ 武蔵野の 草にいつまで 残る白雪」と詠み献納しました。

太田道灌は、室町時代に活躍した武将であり、学者です。1457年、父の太田道真と一緒に川越城を築城しました。1457年には、江戸城を築城したことでも知られています。
川越氷川神社は川越城の戌亥(北西)の方角に鎮座していました。この方角は陰陽道で神門と呼ばれ尊ばれており、太田道真・道灌父子は城の守護神として川越氷川神社を篤く崇敬したと伝わります。特に道灌は、和歌を献納し、境内に矢竹を植樹しました。

太田道灌ゆかりの地「川越城」

川越氷川神社から車で約3分、歩いて10分ほどの場所には川越城が建っています。太田道灌ゆかりの地として知られており、関東七名城・日本100名城に数えられています。江戸時代には川越藩の藩庁が置かれていました。江戸の北の守りとして重要視され、代々幕府の重臣が城主となっていた歴史があります。
川越城MaedaAkihiko(wikipedia CC0)
かつての川越城は、全16棟、建坪1025坪の広さを誇っていました。しかし明治維新後に解体され、現存するのは玄関と大広間の部分だけになります。拝観料が必要ですが、内部を見学することも可能です。1967年(昭和42年)には、埼玉県の有形文化財に指定されました。

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