若泉稲荷神社 - 神社ファン

有名度

前頭

若泉稲荷神社

わかいずみいなりじんじゃ

埼玉県本庄市北堀209

埼玉県本庄市北堀209

拝殿

Alpharigid(wikipedia CC 表示-継承 4.0)

かんたんご利益

  • 仕事
若泉稲荷神社には

「仕事系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

五穀豊穣 商売繁盛

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

稲荷系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

若泉稲荷神社は埼玉県本庄市に鎮座する神社。御祭神は倉稲魂命の1柱をまつる。
社格は旧村社。
若泉稲荷神社の歴史は治承4年(1180年)に遡る。武蔵守継行の六世孫・荘太郎家長が東本庄に館を構えた際、その鎮守として勧請したことに始まる。天正18年(1590年)、本庄氏に代わり小笠原掃部太夫信嶺が本庄城主となった際、旧領主が勧請した神社として特に崇敬し、現在の社地に社殿を建立して奉遷した。明治期には村社として、その庄名を冠し、埼玉県令・千家尊福公により「若泉稲荷神社」と命名された。鳥居の額も千家公の筆によるものであるが、これは県令在任時ではなく晩年の作であり、東五十子の若電神社の拝殿額との時間差は、宮司であった稲山末雄の関与にもかかわらず、謎のままである。明治42年(1909年)には、県の指導により東本庄稲荷神社を合祀した。しかし遷座の際、供奉した7名が亡くなる事故が発生した。これは、社殿の基礎から掘り上げて社殿ごと担いだことによるもので、以後、村内で火事が頻発した。宮司の夢枕に東本庄稲荷大神が現れたことから祟りと判断され、大正15年(1926年)に旧地に還座すると火事は収まり、奥宮橋が県費により建設された。なお、この橋は後に欄干が撤去されガードレールに置き換えられたが、当時の総代・萩原満氏が欄干の一本を保存し、現在は若泉稲荷神社の入り口に置かれている。昭和30年代初頭(1950年代前半)、台風により境内の大木がすべて倒れたが、周囲の民家には一切被害がなく、拝殿だけが倒壊した。このことは神霊の霊験として伝えられ、拝殿再建の際、大工の選定に不手際があった家は次代で絶えたとされる。こうした霊験談は平成初期(1990年代前半)まで現宮司により記録され、一部は「神社と実務」にて公開されている。
  • 村社
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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E6%B3%89%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE
埼玉県神社庁
https://www.saitama-jinjacho.or.jp/