有名度
前頭八幡大神社
はちまんだいじんじゃ
埼玉県本庄市宮戸107-1
埼玉県本庄市宮戸107-1

かんたんご利益
- 安全
- 厄除
- 家庭
八幡大神社には
「安全系」「厄除・開運系」「家庭系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
公
交通安全 厄除開運 家内安全
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「八幡系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
八幡大神社は埼玉県本庄市に鎮座する神社。御祭神は誉田別命の1柱をまつる。
社格は旧村社。
社伝によれば、当社は文正年間(1466~1467)、新田三河守家純(岩松家純)が五十子に陣を構えた際、上野国新田郡岩松郷(現・群馬県太田市尾島町岩松)の八幡宮から分霊を勧請し、創建されたと伝えられている。『児玉郡誌』には、承応元年(1652)の社殿改築の棟札に「横瀬郷鎮守八幡大神社」と記され、当時は地頭所から祭祀料の寄進を受けていたことが記録されている。さらに『新編武蔵風土記稿』宮戸村の項にも「八幡社 村の鎮守、観泉寺持」とあり、村の守護神として厚く信仰されていた様子がうかがえる。隣接する観泉寺は「八幡山無量院」と号する真言宗の寺院で、応永年間(1394~1428)に新田氏の家臣・金井主水が開基したと伝えられる。その後、万治3年(1660)に世良田村の惣持寺の法印祐伝によって再興され、当時は惣持寺の末寺であった。神社と観泉寺は長らく神仏習合のかたちで信仰を集めていたのである。明治の神仏分離を経て、当社は明治4年に村社へと列格。その後、明治40年に字中道北の八幡太神社、字山神の山神社、字藤塚の稲荷社を本殿に合祀し、翌41年には神饌幣帛料供進神社に指定された。さらに平成10年(1998)には、同地区に鎮座していた清水川稲荷神社を配祀し、現在の姿となっている。
社格は旧村社。
社伝によれば、当社は文正年間(1466~1467)、新田三河守家純(岩松家純)が五十子に陣を構えた際、上野国新田郡岩松郷(現・群馬県太田市尾島町岩松)の八幡宮から分霊を勧請し、創建されたと伝えられている。『児玉郡誌』には、承応元年(1652)の社殿改築の棟札に「横瀬郷鎮守八幡大神社」と記され、当時は地頭所から祭祀料の寄進を受けていたことが記録されている。さらに『新編武蔵風土記稿』宮戸村の項にも「八幡社 村の鎮守、観泉寺持」とあり、村の守護神として厚く信仰されていた様子がうかがえる。隣接する観泉寺は「八幡山無量院」と号する真言宗の寺院で、応永年間(1394~1428)に新田氏の家臣・金井主水が開基したと伝えられる。その後、万治3年(1660)に世良田村の惣持寺の法印祐伝によって再興され、当時は惣持寺の末寺であった。神社と観泉寺は長らく神仏習合のかたちで信仰を集めていたのである。明治の神仏分離を経て、当社は明治4年に村社へと列格。その後、明治40年に字中道北の八幡太神社、字山神の山神社、字藤塚の稲荷社を本殿に合祀し、翌41年には神饌幣帛料供進神社に指定された。さらに平成10年(1998)には、同地区に鎮座していた清水川稲荷神社を配祀し、現在の姿となっている。
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神社詳細
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神紋
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出典
埼玉県神社庁
https://www.saitama-jinjacho.or.jp/
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