鳥居 | 鹿島神宮 - 神社ファン

有名度

大関

鹿島神宮

かしまじんぐう

茨城県鹿嶋市宮中2306番地1

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鳥居

更新日:2026年8月16日

大鳥居

鹿島神宮の境内正面に立つ二の鳥居は、「大鳥居」の名で親しまれている神宮のシンボルのひとつです。現在の鳥居は2014年(平成26年)に再建されました。
大鳥居(二の鳥居)
以前の二の鳥居は1968年(昭和43年)に建てられた御影石製で、国産花崗岩を用いた鳥居として日本一の大きさを誇っていました。しかし、2011年(平成23年)に発生した東日本大震災によって倒壊。再建にあたっては境内に自生していた杉の巨木4本が切り出され、石造から木造の大鳥居へと生まれ変わりました。
見上げた大鳥居(二の鳥居)
奥宮や御手洗池へと続く御手洗口にも鳥居が立っています。御手洗口はかつて鹿島神宮を訪れる際の参拝起点とされた場所です。ここに2004年(平成16年)、崇敬者によって御影石製の鳥居が奉納されましたが、二の鳥居と同じく東日本大震災で倒壊しました。現在の鳥居は2020年(令和2年)に再建された鋼板製です。
御手洗口の鳥居
東日本大震災では、境内の表側にあたる二の鳥居と、裏側にあたる御手洗口の鳥居がともに倒壊しました。その一方で境内の主要な建物が守られたことから、2基の鳥居が「災禍が境内を侵すことを防いだ」ともいわれています。
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東西南北に立つ4基の一の鳥居

鹿島神宮には、東西南北の4方向に一の鳥居があります。それぞれが境内から離れた場所に立ち、鹿島神宮の広大な神域を示しています。

東の一の鳥居は、太平洋に面した明石浜に立つ「明石浜鳥居」です。明石浜は、御祭神の武甕槌大神が上陸したと伝えられる場所です。
また、明石浜は鹿島神宮から西へ延びる神社や霊山などを結ぶ「レイライン(御来光の道)」の起点ともいわれています。太平洋から朝日が昇る場所でもあり、日の出と鳥居を一緒に撮影できるスポットとして人気があります。
2011年(平成23年)の東日本大震災では明石浜も津波に襲われましたが、鳥居は流されることなく残りました。武甕槌大神上陸の伝承やレイラインの起点とされることに加え、津波にも耐えた鳥居として注目され、新たなパワースポットとしても人気を集めています。
東の一の鳥居Saigen Jiro (Wikipedia CC0)
西の一の鳥居は、大船津の水上に立つ巨大な鳥居です。東西南北にある4基の一の鳥居のなかでも特に有名で、鹿島神宮を代表する景観のひとつとなっています。
現在の西の一の鳥居は2013年(平成25年)に再建されたもので、河底からの高さ18.5m、幅22.5mを誇ります。水上鳥居として日本一の大きさを誇る巨大な鳥居で、水面からそびえ立つ姿は迫力があります。
大船津は夕日の名所としても知られています。この地の優れた景観は古くから知られており、江戸時代には歌川広重が『六十余州名所図会』に鹿島神宮の風景として描きました。現在も水上に立つ鳥居と夕焼けを一緒に眺められる、鹿島神宮を代表する撮影スポットです。
西の一の鳥居Σ64(Wikipedia CC 表示 4.0)
南の一の鳥居にあたるのは、神栖市に鎮座する息栖神社(いきすじんじゃ)の鳥居です。息栖神社は鹿島神宮・香取神宮とともに「東国三社」に数えられる古社で、その鳥居が鹿島神宮の南の一の鳥居を兼ねています。
南の一の鳥居(息栖神社鳥居)
北の一の鳥居は、鹿嶋市浜津賀地区の神戸森(ごうどのもり)に鎮座する戸隠神社の鳥居です。現在の朱塗りの鳥居は2017年(平成29年)に再建されました。
周辺は「神戸(ごうど)」地区と呼ばれています。「神戸」の地名は、文字通り鹿島神宮への玄関口であったことを今に伝えるものです。東や西の一の鳥居と比べると知名度が低く、地元でもその存在を知らない人がいるほどですが、鹿島神宮の広大な神域を知るうえで興味深い場所です。
北の一の鳥居(戸隠神社の鳥居)
鹿島神宮を訪れる際は境内の大鳥居だけでなく、時間に余裕があれば東西南北の一の鳥居にも注目してみてください。特に、朝日とともに眺められる明石浜鳥居と、夕景が美しい西の一の鳥居は、境内とはまた違った鹿島神宮の魅力を感じられる場所です。

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