有名度
関脇大洗磯前神社
おおあらいいそさきじんじゃ
茨城県東茨城郡大洗町磯浜町6890番地
軍艦那珂忠魂碑
更新日:2026年10月20日
戦没した乗組員を慰霊する碑
参拝者用の駐車場から拝殿へ向かう途中、休憩所の近くに軍艦那珂忠魂碑(ぐんかんなかちゅうこんひ)が建っています。正面に「軍艦那珂忠魂碑」と刻まれた大きな石碑で、かたわらには艦の姿を線で描いたものや、艦歴を記した石板も据えられています。この忠魂碑は、日本海軍の軽巡洋艦「那珂」とともに戦没した乗組員を慰霊するために建立されたものです。
那珂は川内型軽巡洋艦の3番艦で、艦名は栃木県から茨城県を流れ、太平洋へ注ぐ那珂川にちなんで名付けられました。大洗磯前神社の北側を流れる川も那珂川で、神社と軍艦那珂には、この川を介したつながりがあります。
かつて軍艦には、艦名にゆかりのある神社などから御分霊を迎え、艦内に神を祀る習わしがありました。これが「艦内神社」です。航海の安全などを願い、艦長をはじめ乗組員が折にふれて参拝しました。
軍艦那珂では、その艦内神社として大洗磯前神社が祀られていました。現在、大洗磯前神社の境内に那珂の忠魂碑が建っているのも、こうした両者のつながりによるものです。

軽巡洋艦「那珂」の最期と忠魂碑
那珂は1925年(大正14年)11月30日に横浜船渠で竣工しました。太平洋戦争開戦時には第四水雷戦隊の旗艦を務め、その後も各地の作戦に参加。損傷と修理を繰り返しながら、輸送や護衛などの任務にもあたりました。
同じ2月17日、トラック島はアメリカ海軍機動部隊による大規模な空襲を受けます。那珂も艦載機による攻撃を受けて対空戦闘を続けましたが、爆弾や魚雷が命中し、トラック島周辺の海域で沈没しました。多くの乗組員がこの戦闘で命を落としています。
戦後、生き残った乗組員らによって軍艦那珂戦友会が組織され、戦没した仲間を慰霊する活動が続けられました。
1982年(昭和57年)8月15日には、軍艦那珂忠魂碑建立発起人会から大洗磯前神社へ、境内に忠魂碑を建立するための許可が申請されました。翌年の那珂沈没の日にあたる2月17日の完成を目指して募金活動が行われ、目標額は400万円でした。
こうして1983年(昭和58年)、大洗磯前神社の境内に軍艦那珂忠魂碑が建立されました。建立された2月17日は、那珂が沈没してから39年後、40年目にあたります。大洗磯前神社では現在も毎年この日に「軍艦那珂慰霊祭」を斎行し、戦没した乗組員の御霊を慰めています。
かつて艦内神社として乗組員が手を合わせた大洗磯前神社が、戦後はその乗組員を慰霊する場所となりました。軍艦那珂忠魂碑は、軍艦の歴史を記念するだけでなく、那珂と大洗磯前神社とのつながりを現在に伝える慰霊碑でもあります。
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誓いや決意を奉納する「軍艦那珂絵馬」
大洗磯前神社では、軍艦那珂を描いた「軍艦那珂絵馬」も授与しています。一般的な絵馬とは少し趣旨が異なり、この絵馬に書くのは「お願い」ではなく、自分自身の「誓い・意思表明」です。
たとえば「次の試合に勝たせてください」と願うのではなく、「練習して次の試合に勝ちます」と自分の決意を書きます。合格を目指す場合も、単に合格を願うのではなく、「合格できるように努力します。見守ってください」といった形で奉納します。
これは、現在の平和な日本の礎となった人々に対して、自分がこれから何をするのかを誓うための絵馬です。忠魂碑への慰霊と、自らの決意を結びつけた大洗磯前神社ならではの絵馬となっています。

大洗磯前神社と軍艦那珂との関係は、戦前の艦内神社だけで終わっていません。戦後には生存した乗組員らによって忠魂碑が建立され、現在も命日の2月17日に慰霊祭が続けられています。そして軍艦那珂絵馬には、戦没者を偲ぶだけでなく、その前で自分自身のこれからを誓うという形で、その記憶が受け継がれています。
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