有名度
関脇大洗磯前神社
おおあらいいそさきじんじゃ
茨城県東茨城郡大洗町磯浜町6890番地
一の鳥居
更新日:2026年10月20日
県道をまたぐ大鳥居
大洗磯前神社が鎮座する丘のふもと、県道108号線に一の鳥居が立っています。コンクリート造の明神鳥居で、高さは約15.6メートル。道路をまたぐ形でそびえ、その下を車が行き交います。鳥居を抜けてすぐ左手には、参拝者用駐車場へと続く坂道が延びています。現在の鳥居は1963年(昭和38年)に竣工したものです。高さ15メートルを超える巨大な鳥居ですが、周囲に建物や道路があるため、遠くから眺めるよりも真下まで来たときにその大きさを実感できます。太い柱の間を県道が通り、乗用車はもちろん、大型車も鳥居の下を行き交う光景は、一の鳥居ならではのものです。
現在は一の鳥居と二の鳥居の間を道路や街並みがつないでいますが、かつては松並木の参道を歩いて社殿へと向かっていました。現在の巨大なコンクリート製鳥居だけでなく、江戸時代からこの場所が大洗磯前神社への入口であったことを知っておくと、一の鳥居の見え方も少し変わってくるでしょう。
そして、現在の一の鳥居の建立には、「塔博士」の異名で知られる構造家・内藤多仲(ないとうたちゅう)も携わりました。東京タワーをはじめ、日本各地の名だたる塔の構造設計を手がけた人物です。

3坪は畳にするとおよそ6畳分。地上から見上げると鳥居そのものが巨大なため、それほど大きく感じないかもしれませんが、一枚の額として考えると驚くほどの大きさです。高さ15.6メートルの鳥居に掲げるため、大額もそれに見合った規模で作られています。
文字を揮毫した有栖川宮熾仁親王は、幕末から明治時代に活躍した皇族です。有栖川宮家は代々、歌道と書道を家学として伝えた宮家で、その書風は「有栖川流」と呼ばれました。熾仁親王自身も優れた書の名手として知られ、明治天皇や昭憲皇太后に書を教える師範を務めています。
大洗磯前神社では二の鳥居にも熾仁親王の筆による扁額が掲げられています。一の鳥居から参道を進む際には、二つの大鳥居とともに、それぞれの頭上に掲げられた扁額にも注目してみてください。
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塔博士が手がけた鳥居
内藤多仲は日本の耐震構造研究を切り開き、「耐震構造の父」と呼ばれた構造家です。1886年(明治19年)に山梨県で生まれ、早稲田大学教授を務めながら建築構造学の発展に大きな足跡を残しました。特に知られているのが、電波塔や観光塔の構造設計です。高くそびえる塔を数多く手がけたことから「塔博士」の異名で呼ばれるようになりました。
なかでも中部電力 MIRAI TOWER(旧・名古屋テレビ塔)、通天閣、別府タワー、さっぽろテレビ塔、東京タワー、博多ポートタワーの6基は「タワー6兄弟」と呼ばれています。いずれも内藤多仲が設計に携わった塔で、それぞれの街を代表するランドマークとして親しまれてきました。

その流れのなかで見ると、大洗磯前神社の一の鳥居が建てられた1963年(昭和38年)という年代がより興味深く感じられます。東京タワーが完成してからわずか5年後、そして博多ポートタワーが完成する前年です。内藤多仲が日本各地で次々と塔を手がけていた、まさに「塔博士」として活躍していた時代に大洗の巨大鳥居も造られました。
神社の鳥居と東京タワー。一見するとまったく異なる建造物ですが、大洗磯前神社では、その二つを「内藤多仲」という一人の構造家が結びつけています。
高さ約15.6メートルの巨大さ、県道をまたいで車が行き交う独特の景観、畳約6枚分にもなる有栖川宮熾仁親王揮毫の大額、そして東京タワーを手がけた「塔博士」とのつながり。一の鳥居は、ただ通り抜けるだけではもったいない、大洗磯前神社の最初の見どころです。
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