有名度
前頭陰陽神社
いんようじんじゃ
茨城県常陸大宮市山方4927番地
茨城県常陸大宮市山方4927番地

かんたんご利益
- 恋愛
- 健康
- 子供
陰陽神社には
「恋愛系」「健康系」「子供系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
公
結婚縁結び 子授安産 夫婦和合 延命息災 諸願成就
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(柱)」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
陰陽神社は茨城県常陸大宮市に鎮座する神社。御祭神は伊弉諾尊、伊弉冉尊の2柱をまつる。
寛文元年(1661年)、水戸藩二代藩主・徳川光圀公(義公)が領内を巡視した際、一里ほど南の上大賀村・念仏塚から陰陽山の大岩を遠望した。その時、北西の方角から径一尺ほどの金色の玉が飛来し、光圀公の前に落ちて消えた。この出来事に感銘を受けた義公は庄屋に案内させ、戊亥の方角にある陰陽山に登り、二つの大岩を観察した。これまで「夫婦岩」と呼ばれていた二石を、東側の小ぶりな石(高さ10m、横23m、厚さ2.5m)を「陰石」、西側の大きな石(高さ8.8m、横5.6m、厚さ1.9m)を「陽石」と名付け、陰陽石を御神体として「陰陽山大権現」と称した。さらに野上、長田、上大賀、小貫、西野内、舟生、山方の7村の鎮守として神社創建を思い立ち、元禄4年(1691年)に社殿が完成し。
現在の社殿は文政2年(1819年)、根本甚蔵・小口与兵衛・清水惣兵衛らによって改築されたものである。社殿は陰陽石を奥に、その南側に鎮座している。しかし、平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震により、御神体である陰陽石は崩壊し、復元は不可能となった。現在は陰陽石の前に縁起碑が建立され、崩壊前の姿が伝承されている。
寛文元年(1661年)、水戸藩二代藩主・徳川光圀公(義公)が領内を巡視した際、一里ほど南の上大賀村・念仏塚から陰陽山の大岩を遠望した。その時、北西の方角から径一尺ほどの金色の玉が飛来し、光圀公の前に落ちて消えた。この出来事に感銘を受けた義公は庄屋に案内させ、戊亥の方角にある陰陽山に登り、二つの大岩を観察した。これまで「夫婦岩」と呼ばれていた二石を、東側の小ぶりな石(高さ10m、横23m、厚さ2.5m)を「陰石」、西側の大きな石(高さ8.8m、横5.6m、厚さ1.9m)を「陽石」と名付け、陰陽石を御神体として「陰陽山大権現」と称した。さらに野上、長田、上大賀、小貫、西野内、舟生、山方の7村の鎮守として神社創建を思い立ち、元禄4年(1691年)に社殿が完成し。
現在の社殿は文政2年(1819年)、根本甚蔵・小口与兵衛・清水惣兵衛らによって改築されたものである。社殿は陰陽石を奥に、その南側に鎮座している。しかし、平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震により、御神体である陰陽石は崩壊し、復元は不可能となった。現在は陰陽石の前に縁起碑が建立され、崩壊前の姿が伝承されている。
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出典
茨城県神社庁
https://www.ibarakiken-jinjacho.or.jp/
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