有名度
前頭艫神社
ともじんじゃ
茨城県日立市十王町友部4丁目1番地2
茨城県日立市十王町友部4丁目1番地2

かんたんご利益
- 健康
- 仕事
- 安全
- 厄除
- 勝負
艫神社には
「健康系」「仕事系」「安全系」「厄除・開運系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
公
開運厄除 武道(スポーツ)守護 海上安全 仕事開運 病気平癒
御祭神
建甕槌命 たけみかづちのみこと
神社系統
この神社の主な系統は
「鹿島系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
艫神社は茨城県日立市に鎮座する神社。御祭神は建甕槌命の1柱をまつる。
艫神社の創建は治承元年(西暦1177年)9月19日のことである。中世、友部(現在の日立市十王町友部)に城を構えた矢田部氏に伝わる「山直日記」によれば、その年、川尻・国井浜に一隻の船が漂着し、その艫(船尾)に一体の神像が安置されていたという。地元住民がその像を矢田部山直吉憲に献じると、彼は「これは鹿島の神が乗りし船」と称え、これを城内に安置して艫之大明神と仰ぎ、武運長久の守護神として敬った。やがて同年11月19日、現在の船見山の地に遷座し、領地の総鎮守として定められたのである。さらに元禄6年(1693年)9月16日には、徳川光圀公が神体を鏡に替え、社領6石余と山林2町余を寄進し、深く崇敬したという記録が残る。
艫神社境内には室町時代後期の棟札が今なお四枚残されており、これは鎮守としての歴史的価値を物語る文化財である。これらは平成4年、十王町(現・日立市)の文化財に指定された。
艫神社の隣には美しいバラ園が境内に隣接している。このバラ園には約800種、1000本ものバラが栽培されており、春と秋には参拝者がその華やかさを楽しむことができる。このバラは、当社の宮司・中村昭良氏が長年丹精を込めて育てたもので、「バラの神社」として地域で評判となっている。そのため艫神社では、季節限定の「薔薇之刻(ばらのとき)」御朱印や、猫とバラをモチーフにした「切り絵御朱印」、船形の印を用いた「縁起御朱印」など、独創的で美しい御朱印が頂ける。
艫神社の創建は治承元年(西暦1177年)9月19日のことである。中世、友部(現在の日立市十王町友部)に城を構えた矢田部氏に伝わる「山直日記」によれば、その年、川尻・国井浜に一隻の船が漂着し、その艫(船尾)に一体の神像が安置されていたという。地元住民がその像を矢田部山直吉憲に献じると、彼は「これは鹿島の神が乗りし船」と称え、これを城内に安置して艫之大明神と仰ぎ、武運長久の守護神として敬った。やがて同年11月19日、現在の船見山の地に遷座し、領地の総鎮守として定められたのである。さらに元禄6年(1693年)9月16日には、徳川光圀公が神体を鏡に替え、社領6石余と山林2町余を寄進し、深く崇敬したという記録が残る。
艫神社境内には室町時代後期の棟札が今なお四枚残されており、これは鎮守としての歴史的価値を物語る文化財である。これらは平成4年、十王町(現・日立市)の文化財に指定された。
艫神社の隣には美しいバラ園が境内に隣接している。このバラ園には約800種、1000本ものバラが栽培されており、春と秋には参拝者がその華やかさを楽しむことができる。このバラは、当社の宮司・中村昭良氏が長年丹精を込めて育てたもので、「バラの神社」として地域で評判となっている。そのため艫神社では、季節限定の「薔薇之刻(ばらのとき)」御朱印や、猫とバラをモチーフにした「切り絵御朱印」、船形の印を用いた「縁起御朱印」など、独創的で美しい御朱印が頂ける。
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神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
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例祭
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文化財
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建築
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神紋
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出典
公式サイト
https://tomo.or.jp/
茨城県神社庁
https://www.ibarakiken-jinjacho.or.jp/
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