有名度
前頭鹿島神社
かしまじんじゃ
福島県白河市鹿島34
福島県白河市鹿島34

かんたんご利益
- 仕事
- 勝負
鹿島神社には
「仕事系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
必勝祈願 五穀豊穣 国家守護
御祭神
神社系統
主な系統
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
鹿島神社は福島県白河市に鎮座する神社。御祭神は建御雷之男神の1柱をまつる。
式内社。
社伝では宝亀年間(770~780)、光仁天皇の御代に武甕槌命が当地にまつられたという。弘仁2年(811)には坂上田村麻呂が東北へ赴いた際、常陸国の鹿島大明神を改めて勧請したと伝えられている。
中世には白河地方を支配した白河結城氏が鹿嶋神社を氏神として崇敬し、歴代当主は武運長久を祈願して銅造品などを寄進した。鹿嶋神社は白河結城氏の本拠である白川城の阿武隈川を挟んだ北側に位置し、『白河結城氏年中行事』には、当主が毎年12月晦日から正月にかけて鹿嶋神社へ参籠して祈願したことが記されている。
永徳2年(1382)には神主藤原忠泰の時代に鍛冶の藤原守吉が社殿用の鉄製鍵を製作し、現在も永徳2年12月6日の銘を残す。文明13年(1481)には白河結城氏の小峰政朝が鹿嶋神社で1万句奉納の連歌会を催し、連歌師の宗祇も参加したと伝えられている。
江戸時代に入ると鹿嶋神社は小峰城下・白河町の総鎮守となり、明暦3年(1657)には白河藩主本多忠義が京都の仏師法橋浄慶が製作した神輿を寄進した。この奉納後に祭礼の方式が定められ、現在の白河提灯まつりへ受け継がれた。
鹿嶋神社には鹿王山最勝寺が別当として置かれ、正徳元年(1711)には現在も境内に残る観音堂が建立された。享保年間(1716~1736)には結城親朝が父・結城宗広の冥福を祈って建立したとされる三重塔が再建された。
寛政7年(1795)には白河藩主松平定信が明珍宗政・宗妙に甲斐武田家伝来の「楯無鎧」を模造させ、鹿嶋神社へ奉納した。文化元年(1804)には三重塔の由緒を刻んだ浮屠碑が建立され、白河藩校立教館教授の広瀬典が撰文し、賀孝啓が書を担当した。
三重塔はその後、明治期の大風によって倒壊した。明治6年(1873)には最勝寺が廃寺となったが、観音堂は残された。明治43年(1910)には火災によって社殿をはじめ建造物や備品の多くを焼失し、大正元年(1912)に社殿が再建された。大正14年(1925)には東郷平八郎が「鹿島宮」の額を奉納した。
境内には正徳元年(1711)建立の旧最勝寺観音堂が残り、棟札、石造露盤、巡礼札及び六十六部廻国聖納札とともに白河市指定重要文化財となっている。また、永徳2年(1382)銘の「鉄製鍵」は福島県指定重要文化財、本多忠義が寄進した「鹿嶋神社神輿」と松平定信が奉納した「楯無鎧写」は白河市指定重要文化財、文化元年(1804)建立の「浮屠碑」は白河市指定史跡である。
鹿嶋神社神楽の太々神楽は白河市指定重要無形民俗文化財で、近郷の神職や氏子によって奉納されてきた。例大祭の「鹿嶋神社祭禮渡御祭」は白河提灯まつりと呼ばれ、2年に1度、9月中旬の3日間に行われる。昼には旧城下町を屋台や山車が巡り、夜には各町の提灯行列が鹿嶋神社の神輿を送迎しながら旧奥州街道を渡御する。
式内社。
社伝では宝亀年間(770~780)、光仁天皇の御代に武甕槌命が当地にまつられたという。弘仁2年(811)には坂上田村麻呂が東北へ赴いた際、常陸国の鹿島大明神を改めて勧請したと伝えられている。
中世には白河地方を支配した白河結城氏が鹿嶋神社を氏神として崇敬し、歴代当主は武運長久を祈願して銅造品などを寄進した。鹿嶋神社は白河結城氏の本拠である白川城の阿武隈川を挟んだ北側に位置し、『白河結城氏年中行事』には、当主が毎年12月晦日から正月にかけて鹿嶋神社へ参籠して祈願したことが記されている。
永徳2年(1382)には神主藤原忠泰の時代に鍛冶の藤原守吉が社殿用の鉄製鍵を製作し、現在も永徳2年12月6日の銘を残す。文明13年(1481)には白河結城氏の小峰政朝が鹿嶋神社で1万句奉納の連歌会を催し、連歌師の宗祇も参加したと伝えられている。
江戸時代に入ると鹿嶋神社は小峰城下・白河町の総鎮守となり、明暦3年(1657)には白河藩主本多忠義が京都の仏師法橋浄慶が製作した神輿を寄進した。この奉納後に祭礼の方式が定められ、現在の白河提灯まつりへ受け継がれた。
鹿嶋神社には鹿王山最勝寺が別当として置かれ、正徳元年(1711)には現在も境内に残る観音堂が建立された。享保年間(1716~1736)には結城親朝が父・結城宗広の冥福を祈って建立したとされる三重塔が再建された。
寛政7年(1795)には白河藩主松平定信が明珍宗政・宗妙に甲斐武田家伝来の「楯無鎧」を模造させ、鹿嶋神社へ奉納した。文化元年(1804)には三重塔の由緒を刻んだ浮屠碑が建立され、白河藩校立教館教授の広瀬典が撰文し、賀孝啓が書を担当した。
三重塔はその後、明治期の大風によって倒壊した。明治6年(1873)には最勝寺が廃寺となったが、観音堂は残された。明治43年(1910)には火災によって社殿をはじめ建造物や備品の多くを焼失し、大正元年(1912)に社殿が再建された。大正14年(1925)には東郷平八郎が「鹿島宮」の額を奉納した。
境内には正徳元年(1711)建立の旧最勝寺観音堂が残り、棟札、石造露盤、巡礼札及び六十六部廻国聖納札とともに白河市指定重要文化財となっている。また、永徳2年(1382)銘の「鉄製鍵」は福島県指定重要文化財、本多忠義が寄進した「鹿嶋神社神輿」と松平定信が奉納した「楯無鎧写」は白河市指定重要文化財、文化元年(1804)建立の「浮屠碑」は白河市指定史跡である。
鹿嶋神社神楽の太々神楽は白河市指定重要無形民俗文化財で、近郷の神職や氏子によって奉納されてきた。例大祭の「鹿嶋神社祭禮渡御祭」は白河提灯まつりと呼ばれ、2年に1度、9月中旬の3日間に行われる。昼には旧城下町を屋台や山車が巡り、夜には各町の提灯行列が鹿嶋神社の神輿を送迎しながら旧奥州街道を渡御する。
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神社詳細
格式
式内社(不明)
摂末社・境内社
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