有名度
前頭河内神社
かわうちじんじゃ
山形県鶴岡市山五十川字宮田2
山形県鶴岡市山五十川字宮田2

かんたんご利益
- 仕事
河内神社には
「仕事系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
豊漁 商売繁盛 五穀豊穣
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「えびす系」 「不明(1柱)」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
河内神社は山形県鶴岡市に鎮座する神社。御祭神は事代主命、溝咋姫命の2柱をまつる。
由緒では、大同2年(807)に河内権現を勧請したと伝えられる。山五十川では前年の大同元年(806)に熊の神社が勧請されたとの伝承も残る。
河内権現の祭礼では古くから能が奉納されてきた。現在の山戸能には複数の起源伝承があり、貞観8年(866)に清和天皇に従って当地へ来た人物が「恋慕の舞」を伝えたとも、元慶年間(877~884)に清和天皇の供奉者から伝授されたとも伝えられる。嘉禄元年(1225)頃には、河内権現の祭りとともに山戸能が盛んになったという。
長享元年(1487)には、後小松天皇の第三皇子が諸国巡歴の途中で小名部に立ち寄り、その供奉者の1人が温海岳に籠って天龍上人と称し、河内大権現に参詣したとの伝承がある。天龍上人は実俣村に住み、村人に謡、仕舞、恋慕の舞、金丹囃子を伝えたという。また、寛永年間(1624~1644)には、石田三成の末裔が天龍上人と名を改めて温海岳に籠り、小袖や鼓を授け、「座揃い」「道行き」の囃子を教えたとの伝承も残る。
貞享元年(1684)には河内権現の社殿が再建された。この時の記録には「山五十川」の地名が記されている。宝永年間(1704~1711)には神楽に関連して村芝居が始まったと伝えられ、後の山五十川歌舞伎へ受け継がれた。寛政4年(1792)には河内権現が再建されている。
文政7年(1824)、河内権現は火災に遭い、本社と神輿を焼失した。翌文政8年(1825)には長床が再建され、歌舞伎が上演された。文政9年(1826)には大工三郎治によって新たな神輿が造られ、天保3年(1832)に河内権現の再建が完成した。天保14年(1843)には、実俣村と蕨野村の囃子を鎮守の祭り以外で行うことが禁じられた。文久2年(1862)には河内権現へ通じる切石坂の敷き替えが行われた。
明治7年(1874)、神仏分離に伴って河内大権現の神体を移し、社名を河内神社へ改めた。翌明治8年(1875)には実俣村と蕨野村が合併し、山五十川村が成立した。
明治34年(1901)には河内神社の神楽殿が建てられた。明治41年(1908)には、熊の神社を除く地区内の無格社が河内神社へ合祀された。
河内神社の祭礼では、山形県指定無形民俗文化財の山戸能と山五十川歌舞伎が奉納される。山戸能は明治30年(1897)頃まで約120番の曲が伝えられていたが、現在は9番が残り、「座揃囃子」「恋慕の舞」「式三番」「番能」などが伝承されている。
山五十川歌舞伎は、寛政4年(1792)まで上演記録をさかのぼることができる。「仮名手本忠臣蔵」「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」などの演目が伝えられている。
例祭は5月3日である。春の祭典では4月29日から境内へ続く川沿いにぼんぼりが献灯され、5月1日に神輿おろし、5月2日から村巡りが行われる。5月3日には朝祭典、行列、本當屋祭が行われ、山戸能と山五十川歌舞伎が奉納される。秋の祭典は11月23日に行われ、山戸能と山五十川歌舞伎が奉納される。
由緒では、大同2年(807)に河内権現を勧請したと伝えられる。山五十川では前年の大同元年(806)に熊の神社が勧請されたとの伝承も残る。
河内権現の祭礼では古くから能が奉納されてきた。現在の山戸能には複数の起源伝承があり、貞観8年(866)に清和天皇に従って当地へ来た人物が「恋慕の舞」を伝えたとも、元慶年間(877~884)に清和天皇の供奉者から伝授されたとも伝えられる。嘉禄元年(1225)頃には、河内権現の祭りとともに山戸能が盛んになったという。
長享元年(1487)には、後小松天皇の第三皇子が諸国巡歴の途中で小名部に立ち寄り、その供奉者の1人が温海岳に籠って天龍上人と称し、河内大権現に参詣したとの伝承がある。天龍上人は実俣村に住み、村人に謡、仕舞、恋慕の舞、金丹囃子を伝えたという。また、寛永年間(1624~1644)には、石田三成の末裔が天龍上人と名を改めて温海岳に籠り、小袖や鼓を授け、「座揃い」「道行き」の囃子を教えたとの伝承も残る。
貞享元年(1684)には河内権現の社殿が再建された。この時の記録には「山五十川」の地名が記されている。宝永年間(1704~1711)には神楽に関連して村芝居が始まったと伝えられ、後の山五十川歌舞伎へ受け継がれた。寛政4年(1792)には河内権現が再建されている。
文政7年(1824)、河内権現は火災に遭い、本社と神輿を焼失した。翌文政8年(1825)には長床が再建され、歌舞伎が上演された。文政9年(1826)には大工三郎治によって新たな神輿が造られ、天保3年(1832)に河内権現の再建が完成した。天保14年(1843)には、実俣村と蕨野村の囃子を鎮守の祭り以外で行うことが禁じられた。文久2年(1862)には河内権現へ通じる切石坂の敷き替えが行われた。
明治7年(1874)、神仏分離に伴って河内大権現の神体を移し、社名を河内神社へ改めた。翌明治8年(1875)には実俣村と蕨野村が合併し、山五十川村が成立した。
明治34年(1901)には河内神社の神楽殿が建てられた。明治41年(1908)には、熊の神社を除く地区内の無格社が河内神社へ合祀された。
河内神社の祭礼では、山形県指定無形民俗文化財の山戸能と山五十川歌舞伎が奉納される。山戸能は明治30年(1897)頃まで約120番の曲が伝えられていたが、現在は9番が残り、「座揃囃子」「恋慕の舞」「式三番」「番能」などが伝承されている。
山五十川歌舞伎は、寛政4年(1792)まで上演記録をさかのぼることができる。「仮名手本忠臣蔵」「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」などの演目が伝えられている。
例祭は5月3日である。春の祭典では4月29日から境内へ続く川沿いにぼんぼりが献灯され、5月1日に神輿おろし、5月2日から村巡りが行われる。5月3日には朝祭典、行列、本當屋祭が行われ、山戸能と山五十川歌舞伎が奉納される。秋の祭典は11月23日に行われ、山戸能と山五十川歌舞伎が奉納される。
スポンサーリンク
神社詳細
摂末社・境内社
情報募集
例祭
情報募集
文化財
情報募集
建築
情報募集
神紋
情報募集
出典
山形県神社庁
https://yamagata-jinjyacho.or.jp/
https://yamagata-jinjyacho.or.jp/
