栗川稲荷神社 - 神社ファン

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栗川稲荷神社

くりかわいなりじんじゃ

山形県上山市松山1-1-52

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山形県上山市松山1-1-52

かんたんご利益

  • 仕事
栗川稲荷神社には

「仕事系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

想

五穀豊穣 商売繁盛

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

「稲荷系」

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

栗川稲荷神社は山形県上山市に鎮座する神社。御祭神は稲倉魂命の1柱をまつる。
栗川稲荷神社は、藤井松平家が古くから奉斎していた稲荷大神を祀る神社である。藤井松平家が備中国庭瀬を治めていた時代には、稲荷大神を城中の守護神として祀っていた。
元禄10年(1697)9月15日、庭瀬藩主の松平信通は出羽国上山への国替えを命じられ、信仰していた稲荷大神の御神体を奉持して上山へ向かった。
一行が武蔵国北葛飾郡栗橋に至り、利根川右岸の本陣に宿泊した夜、信通の夢枕に白髪の老翁が現れた。老翁は自らを松平家に祀られている稲荷神と告げ、夜明け前に利根川を渡るよう伝えたという。
信通は家臣を起こして予定を変更し、夜明け前に一行を率いて利根川を渡った。その後、豪雨によって利根川が氾濫し、堤防が崩れたが、一行は上山へ向かい、新たな領地に到着したと伝えられている。
上山に入った信通は上山城内に社殿を設け、稲荷大神を祀った。この時、神託を受けた栗橋の「栗」と利根川の「川」を取って「栗川稲荷大明神」と称したと伝えられる。その後も藤井松平家の歴代藩主によって奉斎された。
明治4年(1871)の廃藩置県によって上山藩が廃されると、藤井松平家は上山を離れて東京へ移り、城内に残された稲荷社は次第に荒廃した。
明治7年(1874)、上山城下の十日町で清水屋を営んでいた中村利蔵が松平家に願い出て、松山台に社殿を建立した。上山城内から御神体を遷して奉斎し、現在の栗川稲荷神社となった。
境内へ続く参道には、信者から奉納された朱塗りの鳥居が連なり、長い鳥居のトンネルを形づくっている。鳥居は1000基以上とされ、参道には約120基の石灯籠も並んでいる。
参道の先には拝殿と本殿があり、境内には現在地への遷座に尽力した中村利蔵を祀る堂も設けられている。
例祭は毎年4月23日に行われる。

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神社詳細

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出典
山形県神社庁
https://yamagata-jinjyacho.or.jp/