霧山天神宮 - 神社ファン

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霧山天神宮

きりやまてんじんぐう

秋田県能代市桧山字霧山下3

😞 🙁 😐 🙂 😄

秋田県能代市桧山字霧山下3

かんたんご利益

  • 学業
霧山天神宮には

「学業・技芸系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

想

受験合格 学問成就

御祭神

菅原道真公 すがわらのみちざねこう

神社系統

この神社の主な系統は

「天満・天神系」

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

霧山天神宮は秋田県能代市に鎮座する神社。御祭神は菅原道真公の1柱をまつる。
社伝では、菅原道真公の子息が常陸介として常陸国へ下向する際、父の画像を携え、常陸飯沼に祀ったと伝えられる。その後、多賀谷氏が北条氏との戦いに勝利してこの画像を得て、飯沼に天神宮を造営し、太刀、鎧、歌仙などを奉納した。多賀谷氏は京都の北野天満宮で行われていた連歌の祭事も取り入れたと伝えられている。
江戸時代初期、多賀谷氏は常陸国から出羽国へ移り、檜山に居住した。天神宮も多賀谷氏歴代の守護神として奉祀され、檜山では毎年正月10日の夜に神前で連歌披講が行われた。この祭事は明治初期まで270余年間続き、現存する連歌懐紙には万治2年(1659)から明治5年(1872)までのものが含まれている。
明治維新後、御神体と社宝は多賀谷家のもとを離れ、所有者が転々とした。御神体が移された先で奇怪な出来事や災いが起きたという伝承も残されている。
その後、檜山の町民有志が御神体の所在を知り、天神宮奉祀会を結成した。昭和23年(1948)5月1日、御神体は約70年ぶりに檜山へ奉遷された。
昭和27年(1952)、崇敬者の協賛によって旧愛宕神社跡地に神殿が建設され、「霧山天神宮」と奉称された。現在の鎮座地は檜山城跡の中腹にあり、かつて愛宕堂が置かれていた場所である。その後、参道の石段や社宝を保存する収蔵庫が整備され、昭和60年(1985)には拝殿と、神殿と拝殿を結ぶ橋ノ間が建設された。
社宝の「霧山天神連歌懐紙」は72冊からなり、御規式用具9点とともに昭和41年(1966)3月22日、秋田県指定有形文化財に指定された。連歌懐紙のほか、連歌の祭事で使用された香炉、文台、硯箱などが伝わっている。
例祭は毎年5月25日に行われ、地域の児童による書の奉納も行われている。
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神社詳細

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出典
秋田県神社庁
https://akita-jinjacho.sakura.ne.jp/