有名度
十両上山八幡宮
かみのやまはちまんぐう
宮城県本吉郡南三陸町志津川字上の山27-2
宮城県本吉郡南三陸町志津川字上の山27-2

かんたんご利益
- 仕事
- 勝負
上山八幡宮には
「仕事系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「八幡系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
上山八幡宮は宮城県南三陸町に鎮座する神社。御祭神は誉田別尊の1柱をまつる。
社格は旧村社。
天喜・康平年間(1053~1065)、源義家が前九年の役に臨んだ際、八幡宮と保呂羽山の堂宇を整えたと伝えられる。文治2年(1186)には、本吉郡を領した藤原秀衡の子・本吉四郎高衡が、朝日館の対岸に位置する惣葉沢に八幡宮を勧請した。その際、修験の和光山中将院を別当に任じ、祭祀を担わせたという。
その後、寛政5年(1793)に塩入へ遷座した。明治8年(1875)には村社に列し、地域の鎮守として祀られた。
昭和35年(1960)、チリ地震津波によって拝殿と社務所が浸水し、境内の樹木も被害を受けた。さらに昭和41年(1966)の台風でも社殿などが損傷したため、昭和44年(1969)に復興委員会が組織され、本格的な復旧が進められた。昭和46年(1971)3月には社殿の復旧を終え、遷座祭が執り行われた。例祭日は9月15日である。
社格は旧村社。
天喜・康平年間(1053~1065)、源義家が前九年の役に臨んだ際、八幡宮と保呂羽山の堂宇を整えたと伝えられる。文治2年(1186)には、本吉郡を領した藤原秀衡の子・本吉四郎高衡が、朝日館の対岸に位置する惣葉沢に八幡宮を勧請した。その際、修験の和光山中将院を別当に任じ、祭祀を担わせたという。
その後、寛政5年(1793)に塩入へ遷座した。明治8年(1875)には村社に列し、地域の鎮守として祀られた。
昭和35年(1960)、チリ地震津波によって拝殿と社務所が浸水し、境内の樹木も被害を受けた。さらに昭和41年(1966)の台風でも社殿などが損傷したため、昭和44年(1969)に復興委員会が組織され、本格的な復旧が進められた。昭和46年(1971)3月には社殿の復旧を終え、遷座祭が執り行われた。例祭日は9月15日である。
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出典
宮城県神社庁
https://miyagi-jinjacho.or.jp/
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