有名度
前頭八幡神社
はちまんじんじゃ
宮城県登米市中田町上沼字八幡山51番地
宮城県登米市中田町上沼字八幡山51番地

かんたんご利益
- 仕事
- 勝負
八幡神社には
「仕事系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「八幡系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
八幡神社は宮城県登米市に鎮座する神社。御祭神は応神天皇の1柱をまつる。
社格は旧郷社。
前九年の役に際し、鎮守府将軍源頼義とその子義家は、天喜5年(1057)と康平年間(1058~1065)の2度にわたり八幡山に陣を構えたと伝えられる。義家はこの地に祭壇を設け、八幡大神を勧請して戦勝を祈願した。
戦いを終えた頼義・義家父子は治暦年間(1065~1069)、八幡山に境内を寄進した。義家は自らの「八幡守本尊」を奉祀し、武具を納めて社殿を創建したと伝えられている。享保4年(1719)に佐久間洞巖が著した『奥羽観蹟聞老志』にも、治暦年間に源義家が東征した際、この地に軍を置き、戦いを終えた後に八幡社を建立したことが記されている。
文明2年(1470)には社殿の大修理が行われたとする記録が残る。
江戸時代には登米伊達家から寄進や奉納が行われた。慶長10年(1605)、登米寺池城主の伊達宗直が田高を寄進し、慶長12年(1607)には文庫箱1個を奉納した。元和2年(1616)には宗直が槍1筋、寛永13年(1636)には2代宗貞が旗1旒を奉納した。
明和7年(1770)には廣賢を中心として社地の造成と本殿・拝殿などの造営が始まり、安永5年(1776)3月14日に竣工した。棟札には、造営に延べ14,838人の人足が携わったことが記されている。
安永3年(1774)の『風土記御用書出』には、別当を妙覺院が務め、祭日を3月15日と8月15日とし、本社1間、拝殿3間を備えていたことが記録されている。上沼八幡神社については、このほか『封内名蹟志』『封内風土記』などにも記録が残されている。
文政12年(1829)には本殿の屋根が葺き替えられ、明治33年(1900)または明治34年(1901)にも本殿・拝殿・附属社の屋根葺き替えが行われた。
昭和4年(1929)の郷社昇格に伴い、神饌所が新築され、拝殿の屋根葺き替えと第二鳥居の改修が行われた。昭和9年(1934)には本殿屋根が銅板葺きとなり、昭和29年(1954)には拝殿屋根も銅板葺きに改められた。
現在の本殿は一間社流造で、屋根は銅板葺きである。棟には千木と勝男木を載せ、正面と側面には高欄付きの切目縁を巡らせる。蟇股には三つ巴や鳥獣の彫刻が施され、向拝柱には麻の葉文様、雲形文、巴文の地紋彫が残されている。
境内に立つ2本の姥杉は、源義家が植えたと伝えられる古木で、昭和61年(1986)に当時の中田町の天然記念物に指定された。同年には「加茂流法印神楽」と境内の「古木群生林」も文化財指定を受けた。平成3年(1991)には高さ12mの大鳥居が造営された。平成16年(2004)には本殿、平成17年(2005)には随神像2躯が当時の中田町文化財に指定され、現在は登米市の文化財となっている。例祭日は4月15日と9月15日である。
社格は旧郷社。
前九年の役に際し、鎮守府将軍源頼義とその子義家は、天喜5年(1057)と康平年間(1058~1065)の2度にわたり八幡山に陣を構えたと伝えられる。義家はこの地に祭壇を設け、八幡大神を勧請して戦勝を祈願した。
戦いを終えた頼義・義家父子は治暦年間(1065~1069)、八幡山に境内を寄進した。義家は自らの「八幡守本尊」を奉祀し、武具を納めて社殿を創建したと伝えられている。享保4年(1719)に佐久間洞巖が著した『奥羽観蹟聞老志』にも、治暦年間に源義家が東征した際、この地に軍を置き、戦いを終えた後に八幡社を建立したことが記されている。
文明2年(1470)には社殿の大修理が行われたとする記録が残る。
江戸時代には登米伊達家から寄進や奉納が行われた。慶長10年(1605)、登米寺池城主の伊達宗直が田高を寄進し、慶長12年(1607)には文庫箱1個を奉納した。元和2年(1616)には宗直が槍1筋、寛永13年(1636)には2代宗貞が旗1旒を奉納した。
明和7年(1770)には廣賢を中心として社地の造成と本殿・拝殿などの造営が始まり、安永5年(1776)3月14日に竣工した。棟札には、造営に延べ14,838人の人足が携わったことが記されている。
安永3年(1774)の『風土記御用書出』には、別当を妙覺院が務め、祭日を3月15日と8月15日とし、本社1間、拝殿3間を備えていたことが記録されている。上沼八幡神社については、このほか『封内名蹟志』『封内風土記』などにも記録が残されている。
文政12年(1829)には本殿の屋根が葺き替えられ、明治33年(1900)または明治34年(1901)にも本殿・拝殿・附属社の屋根葺き替えが行われた。
昭和4年(1929)の郷社昇格に伴い、神饌所が新築され、拝殿の屋根葺き替えと第二鳥居の改修が行われた。昭和9年(1934)には本殿屋根が銅板葺きとなり、昭和29年(1954)には拝殿屋根も銅板葺きに改められた。
現在の本殿は一間社流造で、屋根は銅板葺きである。棟には千木と勝男木を載せ、正面と側面には高欄付きの切目縁を巡らせる。蟇股には三つ巴や鳥獣の彫刻が施され、向拝柱には麻の葉文様、雲形文、巴文の地紋彫が残されている。
境内に立つ2本の姥杉は、源義家が植えたと伝えられる古木で、昭和61年(1986)に当時の中田町の天然記念物に指定された。同年には「加茂流法印神楽」と境内の「古木群生林」も文化財指定を受けた。平成3年(1991)には高さ12mの大鳥居が造営された。平成16年(2004)には本殿、平成17年(2005)には随神像2躯が当時の中田町文化財に指定され、現在は登米市の文化財となっている。例祭日は4月15日と9月15日である。
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神社詳細
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出典
宮城県神社庁
https://miyagi-jinjacho.or.jp/
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