有名度
十両赤城神社
あかぎじんじゃ
宮城県登米市中田町宝江新井田字後田28番地の1
宮城県登米市中田町宝江新井田字後田28番地の1

かんたんご利益
- 恋愛
- 子供
赤城神社には
「恋愛系」「子供系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
縁結び 子授け 安産
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「赤城系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
赤城神社は宮城県登米市に鎮座する神社。御祭神は大国主命の1柱をまつる。
社格は旧村社。
正応2年(1289)3月、新井田領主の千葉掃部は、凶作に苦しむ領民を案じ、加賀国から来た増田掃部之輔藤原春信とともに上野国二宮の赤城大明神へ祈願した。同年9月には居城の鬼門にあたる場所へ社殿を造営して神霊を勧請し、増田氏に祭祀を担わせた。以後、3月28日と9月28日を祭日と定め、領主自ら祭祀を執行したと伝えられる。
増田氏の5代目千代之輔は羽黒派修験となり、赤城山一乗院清良と称して祭祀を受け継いだ。天正年間(1573~1592)には、新たに領主となった新井田新左衛門尉が社殿を修造した。その後、社殿が荒廃すると、黒沢領主の高泉筑後から社領の寄進を受け、祭祀の維持が図られた。
寛政9年(1797)9月には18世別当東海法印が社殿の大修理を行ったが、その後、風雨によって大破した。文化14年(1817)4月、19世別当広道法印が村民とともに資金を出し合って社殿を再建し、安政5年(1858)3月にも修理が行われた。
明治3年(1870)6月には修験を廃し、明治8年(1875)10月に村社へ列した。明治38年(1905)3月には本殿を新築し、大正10年(1921)10月には神饌幣帛料供進社に指定された。例祭は4月28日と10月28日に行われる。
社格は旧村社。
正応2年(1289)3月、新井田領主の千葉掃部は、凶作に苦しむ領民を案じ、加賀国から来た増田掃部之輔藤原春信とともに上野国二宮の赤城大明神へ祈願した。同年9月には居城の鬼門にあたる場所へ社殿を造営して神霊を勧請し、増田氏に祭祀を担わせた。以後、3月28日と9月28日を祭日と定め、領主自ら祭祀を執行したと伝えられる。
増田氏の5代目千代之輔は羽黒派修験となり、赤城山一乗院清良と称して祭祀を受け継いだ。天正年間(1573~1592)には、新たに領主となった新井田新左衛門尉が社殿を修造した。その後、社殿が荒廃すると、黒沢領主の高泉筑後から社領の寄進を受け、祭祀の維持が図られた。
寛政9年(1797)9月には18世別当東海法印が社殿の大修理を行ったが、その後、風雨によって大破した。文化14年(1817)4月、19世別当広道法印が村民とともに資金を出し合って社殿を再建し、安政5年(1858)3月にも修理が行われた。
明治3年(1870)6月には修験を廃し、明治8年(1875)10月に村社へ列した。明治38年(1905)3月には本殿を新築し、大正10年(1921)10月には神饌幣帛料供進社に指定された。例祭は4月28日と10月28日に行われる。
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出典
宮城県神社庁
https://miyagi-jinjacho.or.jp/
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