有名度
前頭諏訪神社
すわじんじゃ
宮城県仙台市青葉区上愛子字宮下40
宮城県仙台市青葉区上愛子字宮下40

Kinori(wikipedia パブリック・ドメイン)
かんたんご利益
- 仕事
- 家庭
- 勝負
諏訪神社には
「仕事系」「家庭系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
五穀豊穣 家内安全 武運長久
御祭神
主祭神
中宮
左宮
黒鳩大神
右宮
禰渡大神
神社系統
この神社の主な系統は
「諏訪系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
諏訪神社は宮城県仙台市青葉区に鎮座する神社。御祭神は建御名方命の1柱をまつる。
社格は村社。
創祀は延暦年間(782~806)と伝えられる。当初は西山の御殿山に山神を祀り、氏子の崇敬を受けていた。
文治5年(1189)、源頼朝が奥州藤原氏の藤原泰衡を討つため奥州へ進軍した際、当地で戦勝を祈願したと伝えられる。戦後、頼朝は伊沢四郎家景に社殿と長床を建立させ、建御名方命を祀って諏訪社へ改称し、15の末社を建立したという。また、信濃国佐久郡から佐久太郎房義と佐久次郎治義が当地へ来て、社務を掌ったと伝えられる。
康正3年(1457)、国分下野守宗治と郷六九郎が神社を再興し、西山の御殿城から現在地へ遷座した。永禄2年(1559)には国分能登守宗政らによって社殿が再築され、神馬1頭が寄進された。慶長3年(1598)には山岸修理助らを施主として遷宮が行われた。
元和9年(1623)、伊達政宗によって社殿が再建された。寛永11年(1634)には、宮野長永が夢の中で和歌を得たとの伝承があり、これを聞いた政宗は金3両を奉納し、「諏訪夢想大明神」の号と額を贈ったと伝えられる。
寛永12年(1635)には再び伊達政宗による造営が行われ、茂庭了庵綱元が造営代官、猪狩八右衛門元次が奉行を務め、本殿、長床、石階などが修造された。その後も造営や修復が重ねられ、貞享2年(1685)6月には仙台藩4代藩主伊達綱村が鳥居を奉納した。
現存する本殿は宝永2年(1705)頃の建築とされる。康正3年(1457)から慶応元年(1865)までの棟札が残り、江戸時代にも社殿の造営や修復が行われた。
明治7年(1874)8月に村社へ列し、明治40年(1907)4月に供進社となった。明治42年(1909)には作並の八幡神社、山神社、稲荷神社、葉山神社、薬師神社など、翌明治43年(1910)には熊ヶ根の塩流山神社、熊野神社などを合祀した。
本殿は三間社流造、素木造、こけら葺で、内部は中宮・左宮・右宮に分かれる三社造である。蟇股には花鳥草木、虹梁には唐草文の彫刻が施されている。昭和38年(1963)7月2日、本殿1棟と棟札12枚が宮城県指定有形文化財に指定された。
例祭は4月29日に行われる。1月14日の深夜から翌朝には、文治年間から始まったと伝えられる筒粥の神事が行われ、神前で筒粥を炊いて五穀や野菜の豊凶を占う。境内には八幡神社と塩流神社が鎮座し、茂庭綱元奉納の鰐口、甲冑、国分一宮諏訪神社の扁額、天明8年(1788)奉納の獅子なども伝えられている。
社格は村社。
創祀は延暦年間(782~806)と伝えられる。当初は西山の御殿山に山神を祀り、氏子の崇敬を受けていた。
文治5年(1189)、源頼朝が奥州藤原氏の藤原泰衡を討つため奥州へ進軍した際、当地で戦勝を祈願したと伝えられる。戦後、頼朝は伊沢四郎家景に社殿と長床を建立させ、建御名方命を祀って諏訪社へ改称し、15の末社を建立したという。また、信濃国佐久郡から佐久太郎房義と佐久次郎治義が当地へ来て、社務を掌ったと伝えられる。
康正3年(1457)、国分下野守宗治と郷六九郎が神社を再興し、西山の御殿城から現在地へ遷座した。永禄2年(1559)には国分能登守宗政らによって社殿が再築され、神馬1頭が寄進された。慶長3年(1598)には山岸修理助らを施主として遷宮が行われた。
元和9年(1623)、伊達政宗によって社殿が再建された。寛永11年(1634)には、宮野長永が夢の中で和歌を得たとの伝承があり、これを聞いた政宗は金3両を奉納し、「諏訪夢想大明神」の号と額を贈ったと伝えられる。
寛永12年(1635)には再び伊達政宗による造営が行われ、茂庭了庵綱元が造営代官、猪狩八右衛門元次が奉行を務め、本殿、長床、石階などが修造された。その後も造営や修復が重ねられ、貞享2年(1685)6月には仙台藩4代藩主伊達綱村が鳥居を奉納した。
現存する本殿は宝永2年(1705)頃の建築とされる。康正3年(1457)から慶応元年(1865)までの棟札が残り、江戸時代にも社殿の造営や修復が行われた。
明治7年(1874)8月に村社へ列し、明治40年(1907)4月に供進社となった。明治42年(1909)には作並の八幡神社、山神社、稲荷神社、葉山神社、薬師神社など、翌明治43年(1910)には熊ヶ根の塩流山神社、熊野神社などを合祀した。
本殿は三間社流造、素木造、こけら葺で、内部は中宮・左宮・右宮に分かれる三社造である。蟇股には花鳥草木、虹梁には唐草文の彫刻が施されている。昭和38年(1963)7月2日、本殿1棟と棟札12枚が宮城県指定有形文化財に指定された。
例祭は4月29日に行われる。1月14日の深夜から翌朝には、文治年間から始まったと伝えられる筒粥の神事が行われ、神前で筒粥を炊いて五穀や野菜の豊凶を占う。境内には八幡神社と塩流神社が鎮座し、茂庭綱元奉納の鰐口、甲冑、国分一宮諏訪神社の扁額、天明8年(1788)奉納の獅子なども伝えられている。
スポンサーリンク
神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
情報募集
例祭
情報募集
文化財
情報募集
建築
本殿 三間社流造
神紋
情報募集
出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E4%BB%99%E5%8F%B0%E5%B8%82%E9%9D%92%E8%91%89%E5%8C%BA)
宮城県神社庁
https://miyagi-jinjacho.or.jp/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E4%BB%99%E5%8F%B0%E5%B8%82%E9%9D%92%E8%91%89%E5%8C%BA)
宮城県神社庁
https://miyagi-jinjacho.or.jp/
