長命燈・石燈篭・文治の灯篭 | 鹽竈神社 - 神社ファン

有名度

関脇

鹽竈神社

しおがまじんじゃ

宮城県塩竈市一森山1-1

😞 🙁 😐 🙂 😄

長命燈・石燈篭・文治の灯篭

更新日:2026年8月14日

長命燈

随身門をくぐった両脇には、境内でもひときわ大きく立派な一対の石燈籠「長命燈」があります。
享和3年(1803)、仙台藩の御用商人を務めた大坂升屋の山片平右衛門重芳によって奉納されたものです。御影石で造られており、遠く大坂から船で塩竈まで運ばれたと伝えられています。
長命燈 左側
山片平右衛門重芳を育てた升屋の番頭が、江戸時代を代表する町人学者の山片蟠桃(やまがたばんとう)です。蟠桃は升屋の経営に携わる一方、天文学や経済、歴史など幅広い学問を修め、晩年には大著『夢の代』を著しました。
長命燈 右側
升屋は財政難に陥っていた仙台藩とも深い関係を持ち、蟠桃は藩財政の立て直しにも尽力しました。年貢米の検査である差米検査などを利用して資金を生み出し、大坂で運用することで仙台藩の財政を支えたとされています。長命燈は、鹽竈神社と仙台藩、そして大坂商人とのつながりを現在に伝える燈籠でもあります。
スポンサーリンク

石燈篭

寛文3年(1663)に奉納された一対の石燈籠も残されています。1基は左右宮拝殿の東側、もう1基は門に近い西廻廊付近に建っています。
石燈篭
この石燈籠を奉納したのは、仙台藩の奉行として御舟入堀(おふないりぼり)の開削工事を指揮した和田房長です。御舟入堀は塩竈湾と蒲生を結び、仙台城下への物資輸送を担った運河で、寛文13年(1673)に完成しました。
左右宮拝殿内の石燈篭
石燈籠には和田房長の名や奉納年などを示す銘が残されており、江戸時代の塩竈と仙台藩の歴史を伝える貴重な石造物です。平成30年(2018)には塩竈市の有形文化財に指定されました。
スポンサーリンク

文治の灯篭

左宮拝殿の前にある「文治の燈籠」は、鹽竈神社に残る燈籠のなかでも特に長い歴史を伝える存在です。
文治3年(1187)、奥州藤原氏3代当主・藤原秀衡の三男である和泉三郎忠衡(ただひら)が奉納したと伝えられています。鉄製の燈籠で、扉には太陽と月をかたどった意匠が施され、太陽の左側には「文治三年七月十日泉三郎忠衡敬白」の銘が刻まれています。
文治の灯篭
忠衡の父・藤原秀衡は、兄の源頼朝と対立した源義経を平泉に迎え入れて保護した人物です。秀衡の死後も父の遺言に従って義経を守ろうとした忠衡は、義経追討を決めた兄・泰衡と対立し、のちに殺害されました。
元禄2年(1689)、『おくのほそ道』の旅で鹽竈神社を訪れた松尾芭蕉も、この燈籠に強く心を動かされました。芭蕉は神前に残る古い宝燈と忠衡の銘を目にし、500年を経て忠衡の面影が目の前によみがえるようだと感慨を記しています。
文治の灯篭 上部分
ただし、芭蕉が目にした当時の燈籠と現在のものでは屋根や装飾などに違いがあり、後世に修復・改造が行われたとされています。燈籠を囲む柵も、長命燈が奉納されたのと同じ享和3年(1803)に設置されたものです。

この記事を0人の方がいいねといっています



スポンサーリンク

鹽竈神社の人気記事