長命燈・石燈篭・文治の灯篭 | 鹽竈神社 - 神社ファン

有名度

関脇

鹽竈神社

しおがまじんじゃ

宮城県塩竈市一森山1-1

長命燈・石燈篭・文治の灯篭

更新日:2025年6月7日

長命燈

随身門をくぐった両脇には、境内で最も立派といわれる石燈篭があります。この灯篭は1803(享和3)年、仙台藩の御用商人、大阪升屋・山片平衛門重芳により寄進されました。御影石製で、大阪から船で運ばれたと伝えられています。
長命燈 左側
重芳を育てた升屋の番頭、山片蟠桃は大学者で、近代合理主義の先駆者。江戸時代後期には「夢の代」を著しました。仙台藩が財政危機に陥った際には、差米検査を利用した策を考案。差米検査を無料で行う代わりに検査で抜いた米をもらい、藩札で米を買い上げ、捻出した資金を大阪で利殖しました。
長命燈 右側

石燈篭

1663(寛文3)年に奉納された石灯篭は2基あり、1基は左右宮拝殿の東側にあります。もう1基は門の近くの西の回廊よりに建っています。
石燈篭
仙台藩四代藩主・伊達綱村の時代、鹽竈湾と蒲生を結ぶ「御船入掘(おふないりぼり)」が完成しました。石灯篭は、工事を指揮した和田房長により奉納されたものです。綱村の300年遠忌となる2018(平成30)年、塩釜市の有形文化財に指定されました。
左右宮拝殿内の石燈篭

文治の灯篭

1187(文治3)年、奥州藤原氏第三代当主・藤原秀衡の三男、和泉三郎忠衡により寄進されました。左宮拝殿の前にあります。
文治の灯篭
鉄製で扉には太陽と月の形が描かれており、太陽の左には、「文治三年七月十日泉三郎忠衡敬白」と彫られています。
忠衡の父、秀衡は、源義経を保護した人物です。亡き父の意を汲んだ忠衡は、兄・泰衡と対立し、謀殺されてしまいました。
松尾芭蕉は1689(元禄2)年、鹽竈神社で文治の灯篭を見、「奥の細道」に、「神前に古き宝燈あり~五百年来の俤(おもかげ)、今目の前にうかびてそぞろに珍し。かれは勇義忠孝の士なり。」と綴っています。
松尾芭蕉が見た灯篭は造り直されたもので、屋根や装飾が異なると言われています。燈篭周りの柵も、1803(享和3)年に設置されたものです。
文治の灯篭 上部分

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