有名度
前頭飯豊神社
いいとよじんじゃ
宮城県加美郡加美町麓山30
宮城県加美郡加美町麓山30

かんたんご利益
- 仕事
飯豊神社には
「仕事系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
五穀豊穣 商売繁盛
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「稲荷系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
飯豊神社は宮城県加美郡加美町に鎮座する神社。御祭神は保食神の1柱をまつる。
社格は式内社(論社)であり、旧郷社。
社伝では、大宝3年(703)、巨勢麻呂が陸奥国へ下向し、その後に保食神を奉斎したことを創祀とする。和銅2年(709)3月には巨勢麻呂が陸奥鎮東将軍に任じられ、この頃には神事が盛んに行われたと伝えられている。
天平9年(737)、按察使兼鎮守府将軍の大野東人が賀美郡から出羽国最上郡玉野へ通じる道路を開いた際、社殿を建立したと伝えられる。
延長5年(927)に完成した『延喜式』の神名帳には、陸奥国賀美郡の小社として飯豊神社が記載されている。境内には長さ5尺、厚さ4尺と伝えられる巨石があり、右大弁巨勢麻呂を石神として鎮祭したものと伝えられ、飯豊神社は石神社とも称された。この巨石は現在、奥院とされている。
後伏見天皇の時代には、小野田朝日館主の従五位下内海左京太夫が社殿を再建したと伝えられる。
明治5年(1872)に郷社へ列し、明治40年(1907)には神饌幣帛料供進神社に指定された。明治42年(1909)には鳴雷神社をはじめ、八王子などの諸神社を合祀した。
飯豊神社本殿は平成4年(1992)6月17日に加美町指定有形文化財に指定されている。境内には奥院とされる巨石が残る。祭礼は4月12日と9月12日に行われる。
社格は式内社(論社)であり、旧郷社。
社伝では、大宝3年(703)、巨勢麻呂が陸奥国へ下向し、その後に保食神を奉斎したことを創祀とする。和銅2年(709)3月には巨勢麻呂が陸奥鎮東将軍に任じられ、この頃には神事が盛んに行われたと伝えられている。
天平9年(737)、按察使兼鎮守府将軍の大野東人が賀美郡から出羽国最上郡玉野へ通じる道路を開いた際、社殿を建立したと伝えられる。
延長5年(927)に完成した『延喜式』の神名帳には、陸奥国賀美郡の小社として飯豊神社が記載されている。境内には長さ5尺、厚さ4尺と伝えられる巨石があり、右大弁巨勢麻呂を石神として鎮祭したものと伝えられ、飯豊神社は石神社とも称された。この巨石は現在、奥院とされている。
後伏見天皇の時代には、小野田朝日館主の従五位下内海左京太夫が社殿を再建したと伝えられる。
明治5年(1872)に郷社へ列し、明治40年(1907)には神饌幣帛料供進神社に指定された。明治42年(1909)には鳴雷神社をはじめ、八王子などの諸神社を合祀した。
飯豊神社本殿は平成4年(1992)6月17日に加美町指定有形文化財に指定されている。境内には奥院とされる巨石が残る。祭礼は4月12日と9月12日に行われる。
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神社詳細
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出典
宮城県神社庁
https://miyagi-jinjacho.or.jp/
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