諏訪神社 宮城県角田市江尻字古川 - 神社ファン

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諏訪神社

すわじんじゃ

宮城県角田市江尻字古川1

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宮城県角田市江尻字古川1

かんたんご利益

  • 仕事
  • 家庭
  • 勝負
諏訪神社には

「仕事系」「家庭系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

想

五穀豊穣 家内安全 武運長久

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

「諏訪系」

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

諏訪神社は宮城県角田市に鎮座する神社。御祭神は建御名方神の1柱をまつる。
社格は旧村社。
社伝によれば、天平年間(729~749)頃、現在地に近い土井の内には神聖な場所とされた古代祭祀の場があり、祈祷や祭りの際に仮小屋などを設けて祭祀を行っていたと伝えられる。当時奉斎されていた神々は明らかでない。大同元年(806)、西山の道が険しかったことから、祭祀の場を現在地に近い海道付近へ移したという。この頃には熊野山伏神楽や、本山派修験道の修験道院が存在したとする記録も残る。
建仁元年(1201)頃、北条一門の御内人によって信濃国の諏訪大社から西根江尻村をはじめとする伊具地方へ9座が分祀され、江尻の社も諏訪明神と称するようになったと伝えられる。建御名方大神を祀る石祠が建立され、修験道院に合祀された。当時の江尻には江尻紀伊守の館があり、諏訪明神はその加護神として奉斎されたという。館は地蔵館と称し、村人からは江尻城とも呼ばれていた。
天文4年(1535)頃、地蔵館主の江尻紀伊守らが当地を離れた後、大和石川家は京都の聖護院から法印大和向宝徳を大先達として招いた。これにより本山派法道院諏訪山善方寺が開かれ、修験道院と神社が併存した。永禄年間(1558~1570)には祭日が定められたと伝えられ、その伝統は現在まで受け継がれている。
明治5年(1872)3月、氏子総代の協議によって社名を諏訪神社へ改めた。明治14年(1881)10月には土井の内から現在の江尻字古川へ移り、氏子によって本殿が造営された。工事は陸前国名取郡岩沼本郷の大工棟梁・安達俊策が手がけ、この時期に神輿も奉献された
大正9年(1920)1月23日には、江尻に祀られていた総善社・駒形峯神社、愛宕権現、稲荷社、熊野社、八幡神社、石山神社を諏訪神社へ合祀した。昭和24年(1949)10月11日には本殿の茅葺屋根が腐朽し、葺き替えに必要な茅の確保も困難となったため、社殿周辺の杉を利用して屋根下地を整え、トタン葺きへ改めた。
平成8年(1996)12月には長野県の諏訪大社を参拝し、参加者からの寄進を受けて境内整備を進めた。平成12年(2000)11月26日に工事が完成し、正遷座祭と神楽奉納が行われた。平成14年(2002)4月には、古文書や郷土資料、宮城県関係資料などをもとにまとめた諏訪神社の沿革を伝える碑が建立された。
明治14年(1881)造営の本殿は流造で、当初は茅葺であった。上部に組物を配し、正面の柱には海老虹梁を用いるほか、唐草などの彫刻を施した欄間を備える。境内には大きなイチョウがあり、御神木とされている。祭礼は春祭りが4月15日、秋祭りが旧暦9月17日に近い日曜日に行われ、永禄年間に定められたと伝わる祭日の伝統を現在まで受け継いでいる。
  • 村社
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出典
宮城県神社庁
https://miyagi-jinjacho.or.jp/