有名度
前頭大崎八幡神社
おおさきはちまんじんじゃ
宮城県大崎市田尻八幡字御殿坂16番地
宮城県大崎市田尻八幡字御殿坂16番地

かんたんご利益
- 仕事
- 勝負
大崎八幡神社には
「仕事系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「八幡系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
大崎八幡神社は宮城県大崎市に鎮座する神社。御祭神は應神天皇の1柱をまつる。
社格は旧郷社。
境内周辺は天平9年(737年)に設置された新田の柵の跡地とされ、古瓦が出土している。また、『延喜式』神名帳に記載された新田郡の子松神社の旧所在地とも伝えられ、子松神社は新田の柵の守護神であったという。
天喜5年(1057年)、鎮守府将軍兼陸奥守の源頼義は、子の源義家とともに安倍氏との戦いのため陸奥へ下向した。頼義・義家は天狗ヶ岡に宿陣し、陣頭に社壇を設けて石清水八幡をまつり、戦勝を祈願した。旱天が続いた際には、義家が夢に八幡神の姿を見た翌朝、兵士が林の中から泉を発見したと伝えられる。この泉は「葦切清水」と呼ばれる。
頼義・義家は衣川・鳥海・厨川などの諸柵を攻略したのち、旧新田の柵の守護神であった子松神社の跡地へ石清水八幡を勧請し、武具を奉納した。これを大崎八幡神社の創祀とする。八幡神は当地のほか胆沢と栗原にも勧請され、それぞれに武具が奉納されて「三八幡」と称された。
南北朝時代の正平11年(1356年)、大崎家兼が足利尊氏の命によって奥羽へ下向した。正平16年(1361年)には社殿を再興して祭式を復し、以後、大崎氏は大崎八幡神社を氏神、大崎5郡の総鎮護として崇敬した。
天正18年(1590年)、大崎義隆が豊臣秀吉によって所領を没収されると、大崎氏の旧領は伊達氏の支配下に入った。伊達政宗も大崎八幡を崇敬し、慶長5年(1600年)に旧玉造郡岩出山、慶長9年(1604年)に仙台城下の国分荒巻へ奉遷した。その後、田尻の旧地にも大崎八幡神社が再建され、祭祀が続けられた。
明治維新以前は、境内東隣の新義真言宗智山派通木山寶積院八幡寺が別当を務め、羽黒派修験の白澤山萬宝院と花嶋山光明院も付属していた。萬宝院の達道法印は神社と八幡寺に奉仕する一方で寺子屋の師匠を務め、弟子たちが建立した筆塚が残されている。達道法印の子・白旗東馬は初代社司を務めた。
境内の参道脇には、周囲約7m、樹高約38mの「馬形杉」が立つ。樹形が馬に似ていることから名付けられ、昭和54年(1979年)に旧田尻町の天然記念物に指定された。例祭は毎年9月15日に行われる。
社格は旧郷社。
境内周辺は天平9年(737年)に設置された新田の柵の跡地とされ、古瓦が出土している。また、『延喜式』神名帳に記載された新田郡の子松神社の旧所在地とも伝えられ、子松神社は新田の柵の守護神であったという。
天喜5年(1057年)、鎮守府将軍兼陸奥守の源頼義は、子の源義家とともに安倍氏との戦いのため陸奥へ下向した。頼義・義家は天狗ヶ岡に宿陣し、陣頭に社壇を設けて石清水八幡をまつり、戦勝を祈願した。旱天が続いた際には、義家が夢に八幡神の姿を見た翌朝、兵士が林の中から泉を発見したと伝えられる。この泉は「葦切清水」と呼ばれる。
頼義・義家は衣川・鳥海・厨川などの諸柵を攻略したのち、旧新田の柵の守護神であった子松神社の跡地へ石清水八幡を勧請し、武具を奉納した。これを大崎八幡神社の創祀とする。八幡神は当地のほか胆沢と栗原にも勧請され、それぞれに武具が奉納されて「三八幡」と称された。
南北朝時代の正平11年(1356年)、大崎家兼が足利尊氏の命によって奥羽へ下向した。正平16年(1361年)には社殿を再興して祭式を復し、以後、大崎氏は大崎八幡神社を氏神、大崎5郡の総鎮護として崇敬した。
天正18年(1590年)、大崎義隆が豊臣秀吉によって所領を没収されると、大崎氏の旧領は伊達氏の支配下に入った。伊達政宗も大崎八幡を崇敬し、慶長5年(1600年)に旧玉造郡岩出山、慶長9年(1604年)に仙台城下の国分荒巻へ奉遷した。その後、田尻の旧地にも大崎八幡神社が再建され、祭祀が続けられた。
明治維新以前は、境内東隣の新義真言宗智山派通木山寶積院八幡寺が別当を務め、羽黒派修験の白澤山萬宝院と花嶋山光明院も付属していた。萬宝院の達道法印は神社と八幡寺に奉仕する一方で寺子屋の師匠を務め、弟子たちが建立した筆塚が残されている。達道法印の子・白旗東馬は初代社司を務めた。
境内の参道脇には、周囲約7m、樹高約38mの「馬形杉」が立つ。樹形が馬に似ていることから名付けられ、昭和54年(1979年)に旧田尻町の天然記念物に指定された。例祭は毎年9月15日に行われる。
スポンサーリンク
神社詳細
摂末社・境内社
情報募集
例祭
情報募集
文化財
情報募集
建築
情報募集
神紋
情報募集
出典
宮城県神社庁
https://miyagi-jinjacho.or.jp/
https://miyagi-jinjacho.or.jp/
