有名度
前頭鹿島神社
かしまじんじゃ
宮城県伊具郡丸森町小斎字日向4
宮城県伊具郡丸森町小斎字日向4

かんたんご利益
- 仕事
- 勝負
鹿島神社には
「仕事系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
必勝祈願 五穀豊穣 国家守護
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「鹿島系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
鹿島神社は宮城県伊具郡丸森町に鎮座する神社。御祭神は武甕槌神の1柱をまつる。
社格は旧村社。
社伝によると、景行天皇の御代、日本武尊が東征した際に創祀し、国家鎮護を祈願したと伝えられる。貞観8年(866)の『日本三代実録』には、常陸国鹿島大神の苗裔神が伊具郡に1社鎮座するとの記録があり、この神が現在の鹿島神社にあたると伝わる。
中世には小斎長門の崇敬を受け、天文元年(1532)に本殿が再建された。天正年間(1573~1592)以降は当地を治めた佐藤氏が祭典を執り行い、社殿の造営や修復にも携わった。江戸時代にも小斎佐藤家による祭祀が続き、寛永20年(1643)、4代領主の佐藤清信が奉射祭を始めた。明治10年(1877)の「鹿島神社御祭典奉射祭由来」には、清信が30歳のときに祭を始め、慶応4年(1868)の13代恒信の代まで224年間続いたと記されている。寛政4年(1792)には拝殿が再建された。
明治3年(1870)、神仏分離に伴って鹿島大明神から鹿島神社へ改称し、それまで社務を担っていた宝成院は復飾して清水宮人藤原国清と称した。明治5年(1872)に村社へ列格し、明治40年(1907)3月には幣帛供進神社に指定された。
奉射祭は明治維新後に一時中断し、明治10年(1877)に復活した。その後も戦争などによる中断と再開を経て、平成3年(1991)3月3日に再び復興された。奉射祭では、旧正月15日から射手らが2夜3日の精進潔斎を行い、17日早朝、白装束の神主が目隠しをして直径約1.6mの御神的へ12本の矢を放つ御神的神事を執り行った。その後、大的射礼、かりがねの的射礼が続く。馬上から矢を射る流鏑馬とは異なり、立った状態で弓を射る神事で、丸森町の無形民俗文化財に指定されている。
鹿島神社には丸森町指定有形文化財の「鹿島神社所蔵黒漆五枚胴具足」と「鹿島神社奉納和算額」が伝わる。黒漆五枚胴具足は小斎城主佐藤氏の祖・佐藤為信が着用したと伝えられ、胴の内側に永正4年(1507)の銘が残る。例祭は4月17日に行われる。
社格は旧村社。
社伝によると、景行天皇の御代、日本武尊が東征した際に創祀し、国家鎮護を祈願したと伝えられる。貞観8年(866)の『日本三代実録』には、常陸国鹿島大神の苗裔神が伊具郡に1社鎮座するとの記録があり、この神が現在の鹿島神社にあたると伝わる。
中世には小斎長門の崇敬を受け、天文元年(1532)に本殿が再建された。天正年間(1573~1592)以降は当地を治めた佐藤氏が祭典を執り行い、社殿の造営や修復にも携わった。江戸時代にも小斎佐藤家による祭祀が続き、寛永20年(1643)、4代領主の佐藤清信が奉射祭を始めた。明治10年(1877)の「鹿島神社御祭典奉射祭由来」には、清信が30歳のときに祭を始め、慶応4年(1868)の13代恒信の代まで224年間続いたと記されている。寛政4年(1792)には拝殿が再建された。
明治3年(1870)、神仏分離に伴って鹿島大明神から鹿島神社へ改称し、それまで社務を担っていた宝成院は復飾して清水宮人藤原国清と称した。明治5年(1872)に村社へ列格し、明治40年(1907)3月には幣帛供進神社に指定された。
奉射祭は明治維新後に一時中断し、明治10年(1877)に復活した。その後も戦争などによる中断と再開を経て、平成3年(1991)3月3日に再び復興された。奉射祭では、旧正月15日から射手らが2夜3日の精進潔斎を行い、17日早朝、白装束の神主が目隠しをして直径約1.6mの御神的へ12本の矢を放つ御神的神事を執り行った。その後、大的射礼、かりがねの的射礼が続く。馬上から矢を射る流鏑馬とは異なり、立った状態で弓を射る神事で、丸森町の無形民俗文化財に指定されている。
鹿島神社には丸森町指定有形文化財の「鹿島神社所蔵黒漆五枚胴具足」と「鹿島神社奉納和算額」が伝わる。黒漆五枚胴具足は小斎城主佐藤氏の祖・佐藤為信が着用したと伝えられ、胴の内側に永正4年(1507)の銘が残る。例祭は4月17日に行われる。
スポンサーリンク
神社詳細
摂末社・境内社
情報募集
例祭
情報募集
文化財
情報募集
建築
情報募集
神紋
情報募集
出典
宮城県神社庁
https://miyagi-jinjacho.or.jp/
https://miyagi-jinjacho.or.jp/
