有名度
前頭胡四王神社
こしおうじんじゃ
岩手県花巻市矢沢3-160
岩手県花巻市矢沢3-160

かんたんご利益
- 仕事
- 勝負
胡四王神社には
「仕事系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
勝負運 五穀豊穣
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「古四王系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
胡四王神社は岩手県花巻市に鎮座する神社。御祭神は大己貴命、少彦名命の2柱をまつる。
社格は旧郷社。
社伝では、大同2年(807)、坂上田村麻呂が東征の際にこの地へ宿営し、将兵の武運長久と無病息災を祈願するため、自ら兜の中に納めていた薬師如来をまつったことが創建と伝えられる。以来、胡四王山信仰の中心として篤い崇敬を集めた。
中世には稗貫氏の保護を受け、天台宗医王山胡四王寺として末寺18か寺を擁するほど隆盛した。しかし、天文年間(1532~1555)の火災によって堂宇を焼失し、一時衰退したと伝えられる。その後、当地を治めた南部氏から社領8石1斗9升9合が寄進され、藩主は祭礼ごとに代参を遣わすなど、南部藩の祈願所として厚い崇敬を受けた。
文化15年(1818)、別当を務めた杉山丹後藤原道春が神職となり、薬師如来に代えて大己貴命と少彦名命を奉斎し、社号を矢沢神社へ改めた。明治維新後の神仏分離を経て、明治6年(1873)に郷社へ列せられ、昭和29年(1954)の花巻市制施行にあわせて胡四王神社へ改称し、現在に至る。
現在の拝殿は慶応3年(1867)に花巻の名匠2代目高橋勘次郎が建立したもので、花巻市指定有形文化財に指定されている。本殿は大正元年(1912)の建立で、精巧な彫刻を備え、平成13年(2001)に花巻市指定有形文化財となった。また、境内では毎年1月2日に胡四王神社蘇民祭が行われる。慶応元年(1865)に流行病の鎮静を願って始まったと伝えられ、現在は花巻市指定無形文化財に指定されている。例祭で奉納される胡四王神楽は、安政3年(1856)に岳神楽の伝承を受けて始まったとされ、岩手県指定無形民俗文化財となっている。このほか、慶長年間(1596~1615)に製作された獅子頭も花巻市指定有形文化財に指定されている。
社格は旧郷社。
社伝では、大同2年(807)、坂上田村麻呂が東征の際にこの地へ宿営し、将兵の武運長久と無病息災を祈願するため、自ら兜の中に納めていた薬師如来をまつったことが創建と伝えられる。以来、胡四王山信仰の中心として篤い崇敬を集めた。
中世には稗貫氏の保護を受け、天台宗医王山胡四王寺として末寺18か寺を擁するほど隆盛した。しかし、天文年間(1532~1555)の火災によって堂宇を焼失し、一時衰退したと伝えられる。その後、当地を治めた南部氏から社領8石1斗9升9合が寄進され、藩主は祭礼ごとに代参を遣わすなど、南部藩の祈願所として厚い崇敬を受けた。
文化15年(1818)、別当を務めた杉山丹後藤原道春が神職となり、薬師如来に代えて大己貴命と少彦名命を奉斎し、社号を矢沢神社へ改めた。明治維新後の神仏分離を経て、明治6年(1873)に郷社へ列せられ、昭和29年(1954)の花巻市制施行にあわせて胡四王神社へ改称し、現在に至る。
現在の拝殿は慶応3年(1867)に花巻の名匠2代目高橋勘次郎が建立したもので、花巻市指定有形文化財に指定されている。本殿は大正元年(1912)の建立で、精巧な彫刻を備え、平成13年(2001)に花巻市指定有形文化財となった。また、境内では毎年1月2日に胡四王神社蘇民祭が行われる。慶応元年(1865)に流行病の鎮静を願って始まったと伝えられ、現在は花巻市指定無形文化財に指定されている。例祭で奉納される胡四王神楽は、安政3年(1856)に岳神楽の伝承を受けて始まったとされ、岩手県指定無形民俗文化財となっている。このほか、慶長年間(1596~1615)に製作された獅子頭も花巻市指定有形文化財に指定されている。
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出典
岩手県神社庁
https://www.jinjacho.jp/
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