有名度
十両新山神社
しんざんじんじゃ
岩手県紫波郡紫波町土舘字和山1
岩手県紫波郡紫波町土舘字和山1

かんたんご利益
- 仕事
新山神社には
「仕事系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
五穀豊穣 商売繁盛
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「稲荷系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
新山神社は岩手県紫波郡紫波町に鎮座する神社。御祭神は稲倉魂命の1柱をまつる。
大同2年(807)3月17日、征夷大将軍坂上田村麻呂が凶賊征伐を祈願し、新山上平に神霊を勧請したことに始まると伝えられる。康平5年(1062)9月には、源頼義・義家父子が前九年の役で安倍氏を討つため志和に陣を置いた際、この地の神を崇敬したと伝えられている。
天仁2年(1109)には、鎮守府将軍藤原清衡が新山寺を建立し、参道には18か所の坊舎が設けられた。その後、これらの堂宇は火災によって焼失したが、現在もその跡が残されている。文治5年(1189)9月、奥州合戦で源頼朝が陣ヶ岡に陣を置いた際には寺領が寄進され、頼朝の家臣であった小山朝祐は出家して浄円と名乗り、竜雲山妙音寺と能化山安徳寺を建立した。浄円は嘉禄2年(1226)3月21日、安徳寺で没したと伝えられる。
その後は歴代南部氏の篤い崇敬を受け、寺領120石が寄進された。明治3年(1870)、神仏分離により新山神社へ改称され、現在の里宮境内地は氏子の阿部保三が5反1畝23歩を奉納した土地である。この奉納地に里宮が建立され、明治100年記念事業では拝殿が新築されるとともに境内の整備も進められた。
奥宮境内から発掘された神鏡と懸仏は、明治39年(1906)に国宝参考品として登録され、これらを含む計5点が岩手県指定文化財となっている。また、陸中八十八か所霊場第52番札所としても知られる。例祭日は9月17日である。
大同2年(807)3月17日、征夷大将軍坂上田村麻呂が凶賊征伐を祈願し、新山上平に神霊を勧請したことに始まると伝えられる。康平5年(1062)9月には、源頼義・義家父子が前九年の役で安倍氏を討つため志和に陣を置いた際、この地の神を崇敬したと伝えられている。
天仁2年(1109)には、鎮守府将軍藤原清衡が新山寺を建立し、参道には18か所の坊舎が設けられた。その後、これらの堂宇は火災によって焼失したが、現在もその跡が残されている。文治5年(1189)9月、奥州合戦で源頼朝が陣ヶ岡に陣を置いた際には寺領が寄進され、頼朝の家臣であった小山朝祐は出家して浄円と名乗り、竜雲山妙音寺と能化山安徳寺を建立した。浄円は嘉禄2年(1226)3月21日、安徳寺で没したと伝えられる。
その後は歴代南部氏の篤い崇敬を受け、寺領120石が寄進された。明治3年(1870)、神仏分離により新山神社へ改称され、現在の里宮境内地は氏子の阿部保三が5反1畝23歩を奉納した土地である。この奉納地に里宮が建立され、明治100年記念事業では拝殿が新築されるとともに境内の整備も進められた。
奥宮境内から発掘された神鏡と懸仏は、明治39年(1906)に国宝参考品として登録され、これらを含む計5点が岩手県指定文化財となっている。また、陸中八十八か所霊場第52番札所としても知られる。例祭日は9月17日である。
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出典
岩手県神社庁
https://www.jinjacho.jp/
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