有名度
十両荒神社
あらがみしゃ
岩手県下閉伊郡山田町船越17-13
岩手県下閉伊郡山田町船越17-13

かんたんご利益
- 安全
- 厄除
- 家庭
荒神社には
「安全系」「厄除・開運系」「家庭系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
火伏せ 除災 家内安全
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「かまど・荒神系」
です。他に 「不明(1柱)」
も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
荒神社は岩手県下閉伊郡山田町に鎮座する神社。御祭神は素戔鳴尊、源武者所閉伊守頼基の2柱をまつる。
社格は旧村社。
荒神社は船越半島南端の田の浜に鎮座し、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけて閉伊郡を治めた閉伊頼基の霊廟と伝えられている。境内南側の海に近い小丘は頼基の墓とされ、石柵で囲まれた区画には墓標と伝わる自然石が残されている。
享保2年(1717)6月、船越村の人々によって神霊が勧請された。安永4年(1775)1月7日には、氏子や崇敬者の協力により神籬や拝殿などが再建され、別当・秀誉によって遷宮が執り行われた。
文政8年(1825)、黒沢定明、佐々木孝普、田代富永、吉田徳右衛門、加藤屋又兵衛、田畑今之丞らは神階昇進について協議を重ねた。その後、天保15年(1844)3月には黒沢定伯が別当河内や村老佐々木喜七とともに京都へ赴き、同年10月1日に正一位の神位記を奉戴して帰郷したと伝えられる。
例祭は旧暦6月15日に執り行われ、閉伊頼基ゆかりの神社として現在も地域の人々の崇敬を集めている。
社格は旧村社。
荒神社は船越半島南端の田の浜に鎮座し、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけて閉伊郡を治めた閉伊頼基の霊廟と伝えられている。境内南側の海に近い小丘は頼基の墓とされ、石柵で囲まれた区画には墓標と伝わる自然石が残されている。
享保2年(1717)6月、船越村の人々によって神霊が勧請された。安永4年(1775)1月7日には、氏子や崇敬者の協力により神籬や拝殿などが再建され、別当・秀誉によって遷宮が執り行われた。
文政8年(1825)、黒沢定明、佐々木孝普、田代富永、吉田徳右衛門、加藤屋又兵衛、田畑今之丞らは神階昇進について協議を重ねた。その後、天保15年(1844)3月には黒沢定伯が別当河内や村老佐々木喜七とともに京都へ赴き、同年10月1日に正一位の神位記を奉戴して帰郷したと伝えられる。
例祭は旧暦6月15日に執り行われ、閉伊頼基ゆかりの神社として現在も地域の人々の崇敬を集めている。
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神社詳細
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神紋
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出典
岩手県神社庁
https://www.jinjacho.jp/
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